これを読んで、s/ナース/現場/g;s/病院/システム/gとして一般論化した場合は非常に納得した(というのかs/ナース/自分/gで思い当たるフシがありすぎてorz)のだけど、そのまま読むとずいぶんと違和感があるのは海堂尊作品の読み過ぎだろうか?
Life is beautiful: 優秀なナースがいるとシステムがなかなか改善されないという話Why hospitals don't learn from failures(なぜ病院は失敗から学ばないのか)」という論文を読んでなるほどと思う部分があったので、ここにメモ代わりに書いておく。
ちなみにこの原文は、
でPDFとして入手できる。ぐぐったら一発で見つかった。
その最大の違和感は、一般論として見た場合もっとも納得感の高い以下にある。
Life is beautiful: 優秀なナースがいるとシステムがなかなか改善されないという話問題は、ナースたちが優秀であればあるほど、システム上の問題点が病院の経営側に伝わって来ないこと。ナースたちにとってみれば、システムの欠陥を指摘する・他人のミスを指摘する・ミスの原因を徹底究明する・経営陣に改善を申し出る、などは彼らの仕事ではなく、そんな暇があったら一分一秒でも患者のためになることをすべき。
看護記録は、一体どうなってしまっているのだろうか。
ナースの仕事は、患者や医師の面倒を見る(to nurse)することだけでは終らない。彼/女がそれをいつどうやったのかを看護記録(nursing log)として記録するのも世界共通の仕事だ。「レーポートが上がらなければ仕事が上がったことにはならない」というのは、今やどんな仕事にも共通しているのだが、ナースの世界はそれが特に厳しかったはずで、日本では医師が記録するカルテ(chart)よりもきちんとしていることが多いというのは複数の医師から聞いたこともあるし、医師が書いた本でも見かけたことがある。
チーム・バチスタの栄光麻酔記録と看護記録がいい加減なことは、普通はまずない。
だとしたら、システム上の不備もまたこれらの記録(medical records)に現れるはずではないか?
ところが、件の論文を読むと、こうした「現場当事者による記録」にあたった形跡が見られないのである。寝不足なので見落としたかと思って"log"、"record"、"chart"という言葉で論文内を検索してみたのだが、驚くべきことに、この3つの単語は一つも論文中に登場しない。
筆者は「だから病院の経営陣は、ナースの日々の活動に常に近いところにいてどんな問題を彼らが解決しなければならないのか、どんなところに余計な時間を費やしているのか観察し、積極的に手を差し伸べてシステムを改善しつづけなければならない。そして、他人のミスを指摘することが個人攻撃にならないような文化を作り、誰もがオープンに自分や他人のミスを語り合える場を作るべき。」と結論付けている。
この観察の第一歩は、「ログを解析」することではないか。これは病院にしろWebサイトにしろ真実である。ログがずさんだったり情報が不足だったり、また改竄されていたりという可能性も事例も当然あるが、それすら実際に読んでみなければわからないものだ。
確かにこうした現場当事者による記録は、忙しい現場においては嫌われがちである。今では考えられないことであるが、Webの黎明期には、サーバーのパフォーマンスの「改善」のためにログの出力先を/dev/nullにしていたことすら結構あった。
実は、私が某社に入って最初にやったことは、日報の義務化。ただでさえ忙しい現場に「日報出せ」と説いて回るのは正直気持ちのいい仕事とは言えなかった。しかし私がやったことの中で、多分一番重要なのはこれだったと今改めて感じている。
しかしそうやって折角記録が残っても、それをシステムの設計・保守・管理に活かされなければ宝の持ち腐れである。件の論文では、なぜ現場記録がスルーされ、わざわざ聞き取り調査をしたのだろうか?聞き取り調査が不要というつもりはないが、解析の順序がおかしいのではないか。「観察」するのも結構だが、logを読むのが先ではないのか?
Dan the B?logger
近年、ヒヤリ・ハット(インシデント・アクシデント)報告というのが大学病院などに義務づけられるようになり、ある病院では年間1000例ほどの報告がなされるようになっています。
逆に言うと、カルテや看護記録からその種の情報を抽出するのは大変です。…事後的に重大な失敗が明らかであった場合のみ、慎重に経過を辿るなら、遙かに容易に抽出できます。
それ以外の求める情報は、一昔前までは始末書の中に綴じ込まれていました。