河出書房新社より献本御礼。最近はここで担当氏まで書くのだが、添え状が見当たらないので社名にて失礼。

すぐに書評するつもりだったのだが、Amazonでは一時新品が払拭していたので、再入荷を確認しての掲載。

たけくまメモ : 【速報】『篦棒な人々』予約受付開始!
今回文庫化にあたって改めて読み直しましたが、自分で言うのもなんですがこれは俺のインタビュー仕事の代表作だと思いました。

篦棒(べらぼう)な編集家による、篦棒な一冊。この言葉に偽り無し。

本書「篦棒な人々」は、タイトルどおり、篦棒な時代に篦棒に生きて、篦棒な足跡を残した四名の物語。

目次
  • おわび(まえがきにかえて)
  • 康 芳夫 現世(うきよ)はすべて神の遊戯(たわむれ)
  • 石原豪人 画怪人(アート・モンスター)かく語りき
  • 川内康範 憎むな!殺すな!赦しましょう!
  • 糸井貫二 ダダの細道
  • 『クイック・ジャパン』と『篦棒な人々』(あとがき)
  • その後の篦棒な人々(文庫版あとがき)
  • 解説 本橋信宏

彼ら四人の篦棒ぶりは、著者本人が本書にきちんと書き、そしてその一部をblogで公開しているので私が紹介するまでもないのだが、「チラ見」ぐらいは赦されよう。というわけで一つだけその素敵な篦棒ぶりを引用させていただく。

P. 240 たけくまメモ : 【篦棒な人々 3】「正義の味方」川内康範・抜粋
竹熊 月光仮面の発想はどこからきたのでしょうか。
川内 それは月光菩薩という仏に由来しているんだけど、月光菩薩というのは脇仏でね、決して主役じゃないんだ。つまり、裏方なんだな。だから“正義の味方”なんだよ。決して正義そのものではない。この世に真の正義がいるとすれば、それは神か仏だよな。だから月光仮面は神でも仏でもない、まさに人間なんだよ。

この意味で、本書の四名は「篦棒な人々」であると同時に「篦棒な時代の味方」でもあった。本書では主人公である彼らもまた、彼らの時代における一登場人物に過ぎない。そして彼らを篦棒たらしめたのは、副題の「戦後サブカルチャー偉人伝」の通り、戦後という時代そのものだったように感じる。

仮に彼らが生を受けたのが現代であったとしたら、彼らはかくも篦棒になれたのだろうか。

歴史にifは禁物というけれど、本書を読んでそんな妄想を楽しまずにいられなかった。その答えはYesでもありNoでもあった。そこ(私の脳内)における彼らは、別の職業を選んでいたが、やはりそこでも篦棒だったからだ。そして、そこにおける彼らが篦棒ぶりを発揮していたのは、「こちら側」ではなく「あちら側」だったのだ。

若者は、どんな時だって篦棒を目指す。その意味で、戦後と現代では現代の方がずっと若者に厳しい時代と言えるのかも知れない。しかし街角から篦棒が消えたからといって、篦棒がこの世から消えたわけではない。あるところにはあるのだ。

私は図書を通して「かつての」篦棒に触れることも出来るし、そしてネットを通して「今の」篦棒にも触れることが出来る。篦棒に触れるのがかつてないほど難しく、そして篦棒を目にするのがかつてないほど簡単な現代は、篦棒な人々にとっての生き心地はどうなのだろうか。そして、篦棒になれない人々にとっては。

Dan the Berablogger