アルファブロガーどおしの議論に書評で割り込んでみる。

まさにこの話題を扱ったのが本書で、数ある「団塊本」の中ではもっともまともな一冊の一つだ。

それだけに、それ以降の世代にはいっそう幻滅が深まった一冊でもあるのだが。

本書「団塊漂流」は、自らも団塊世代の一員でもある前衆議院議員(民主党)の著者が、団塊の世代が抱える問題と展望を、主に経済面から語ったもの。

目次
  • まえがき
  • 第一章 団塊世代と年金問題
  • 第二章 団塊世代と税金
  • 第三章 団塊世代の危機管理
  • 第四章 団塊世代の自分発見
  • 第五章 団塊世代の最後の拠り所
  • あとがき
  • 情緒論ばかりでげっぷが出そうな他の「団塊本」と異なり、本書は数字で語っている分、まだ話になる。他の団塊本ではそもそも他の世代と話が成立しないが、本書では世代に対して中立な数字が軸になっているので、なんとか話が成立する。「団塊老人」とはえらい違いだ。

    しかし、話が成立するというのは、いいことばかりではない。話にならないならまだ諦めも速いが、話になったあとで、やはり「団塊の世代というのは自分達のことしか考えていないのだ」ということを思い知らされるのであれば、期待の後だけに失望感はいやがおうにも増す。

    ここで改めて目次をご覧いただきたい。すべて「団塊世代」、すなわち「オレタチ」が主語となっている。それだけならまだいいが、副題は「団塊世代は逃げ切ったか」である。これがまだ「団塊世代は逃げたのか」という副題で自己弁護を試みているのであればまだ希望はあった。そして極めつけが、このオビ。

    あなたは勝ち逃げできたか?
    saturn

    これでは糸色先生でなくても絶望するよ。

    本書を読了した後には、団塊の世代は右の絵のようにしか見えない。この絵をお借りした先の斉藤マスターに解説してもらおう。

    Espresso Diary@信州松本:火事なのだから、避難路を確認しないと。 - livedoor Blog(ブログ)
    「我が子を食らうサトゥルヌス」。ギリシア神話の一場面を、晩年のゴヤが描いている。私から見ると、地方の高齢者たち、しかも安定した暮らしをしている人たちが道路を求めるのは、都市部の若い納税者たちから収奪をするような行為です。その残酷さと暗さは、ゴヤの絵画にも匹敵すると思います。

    著者のサトゥルヌスぶりを、ちょっとだけ引用しよう。著者は朝日新聞の「声」欄で展開された73歳と39歳のやりとりを引用した後、こう述べている。

     私の考えは、どちらかというとお年寄りの考えに近い部分があります。
     それはやはり、現在七〇歳代、八〇歳代で年金をもらっている人たちは、自分の父母の世代で、彼ら彼女らが、それこそ戦争前後の日本の混乱の中で、ほとんどの人々が食うや食わずで、子育てに一生懸命だった姿を、何らかの形で直接見聞きしているからです。
     現在のように安定した時代に伸び伸びと育ち、自分の老後のことなどを考えられた世代とは違います。ですから、この世代の人々の根金はなるべく税金の心配などせず安心して、老後の生活をできるようにしても、いいのではないかと思うのです。

    はい。娘たち息子たちの将来より、老母老父の余生の方が大事だそうです。親の親孝行はこの世ではなくあの世でお願いできないでしょうか。

    公的年金が安心なのか不安なのかというのは私には判断できません。不安どころかそもそもあてになんぞしていません。私より少し上の斉藤マスターの世代ですらそうです。「自分の老後のことなどを考えられた世代」?団塊の世代の皆さんと一緒にされるのは、その下の老後どころか明日のメドもない世代にとってははなはだ迷惑なのではないでしょうか。

    ゼウスは果たしてどの世代から出るのだろう。やはり団塊ジュニアだろうか....

    Dan the Disappointed