「幸せの背景は不幸」、「善意の指針は悪意」と巻を包帯を重ねて着た「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」シリーズも、今回で早くも三作目。
サブタイトルどおり、これで完結。
嘘だけど。
嘘であって欲しくなかった。「○の属性は×」というサブタイトルが、今回「×の属性は○」と転置しているのを見て、私はみーくんとまーちゃんの痛みが完結することを期待、いや希望したのだが、それは叶えられなかった。
あとがき打ち切られていなければ、次回は何処かに閉じ込められてみる予定です。
この通り、作者自身がみーくんとまーちゃんの痛い物語がまだ続くことを明言してしまっている。かわいそうなみーくん。かわいそうなまーちゃん。電撃文庫編集部は、みーくんの父親より残忍かも知れない。
ただし、「死の礎は生」というサブタイトルには、偽りはない。巻を重ねるごとにみーくんの嘘が洗練され、それにつれて痛みが鋭くなっている点は、本巻でも相変わらず。
『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 3 死の礎は生』 - gobbledygook@book - bookグループもっと丁寧に書いて欲しいな。プロットとかキャラクタのバックボーンが薄過ぎる。
確かに、本巻の一方の物語である、美化委員長惨殺事件の方は、かなり飛ばして書いている。が、そちらは本巻の主題を覆い隠すためのカムフラージュに過ぎないので、それほど気にならなかった。嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」のミステリーとしてのプロットは、巻が進むにつれて荒くなっていくのではあるのだけど、このシリーズに限って言えばそれはむしろ劣化とはいえない。
なぜなら、本シリーズの最大の「売り物」は、壊れたまーちゃんを引き受けたみーくんの痛みだから、だ。作者も出版社も、この点について確信犯度が一巻ごとに増している。
その点、今回はいつにも増して痛かった。少なくとも前二巻では、主人公はいくら嘘つきでも、まーちゃんのためなら何だってするという点においてぶれないし、ぶれようがなかった。少なくともまーちゃんの敵と戦うにあたって、ためらいは微塵も見られない。
しかし、今回はそうは行かない。なにしろ、今回のまーちゃんの敵は、死んだはずの「にもうと」なのだ。もう「あにーちゃん」でなくなったはずのみーくんも、今度ばかりは今までどおりには行かない。
それにしても、主人公のまーちゃんに対する献身ぶりは、ここまで来ると感心するを通り越して呆れる。私なら絶対恋路先生か奈月さんにrunする(英語のrunには、「走る」だけではなく「逃げる」の意味もある)。実際そういう完結もありえるのだが。
というわけで、ラノベ至上最重最鬱間違いなしの本シリーズだが、しかし本シリーズはそれでもラノベであることが今回判明した。悲しいことに。そう。みーくんの痛みすら、売り物なのである。そして売れる以上は、今後もみーくんはさらに痛い目にあわされていくのだろう。
それが「成長に伴う痛み」であればまだいい。私はラノベに限らず、やたら長い物語は好きじゃないが、なぜそうなるのかは理解出来る。「グイン・サーガ」 は別格にしても、「ARIEL」にしろ「 灼眼のシャナ」にしろ、物語世界に浸って救われる読者の期待に、作者や出版社が答えるのは商業主義を差し引いても当然で正当な行為だと思っている。
しかし、本シリーズの売りは、痛みそのものなのだ。続刊のためにむりやり話を続けるのだけは勘弁してほしい。今回のタイトルは、最終巻にこそふさわしいものだっただけに、今後どうなる、いやどうするのかが気がかりだ。長くてもあと二巻ぐらいに留めておいて欲しい。
Dan the Mortal Reader
小飼氏のおっしゃるとおり、主人公とヒロインだけの閉じた世界としての物語は、ここで完結したんだと思います。
しかし、この閉じた世界を区切る「枠」に絶対の断絶性があるとは私は思えません。あくまで一時的な物のように思います。
主人公は、閉じた世界で終始することに対し「そうするべき」と確信しながらも肯定できないでいますし、
「枠」の外の世界もまた、少なくとも今はまだ、彼と彼女の閉じようとしている世界への干渉を放棄してはいない。
正直、外の世界に「痛み」が無いとは思いませんが。
その新たな「痛み」に彼らがどう相対するのか、どう乗り越えるのか、それが楽しみで仕方のない自分がいます。
いやぁ、我ながら性格悪いですね・・・(笑