原著がずっと欲しかったのだが....
On Off and Beyond: アフガニスタン小説Kite Runner - 全米が泣いた!全米が泣いた、というのはもちろん嘘ですが、私は泣いたよ。アフガニスタンとベイエリアを舞台にした小説、The Kite Runner。
ずっと入手できないのに業を煮やし....
君のためなら千回でも - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記本日午後2時からのTBSラジオ『コラムの花道』では、うちの近所のフレモントという町にあるアメリカ最大のアフガン人街「リトル・カブール」と、そこで育った作家カーレド・ホッセイニについて話します。
諦めて訳本をかったとたんにAmazonが原著を在庫したという。
本書「君のためなら千回でも」は、"The Kite Runner"の全訳で、そしてこの物語の中で最も重い台詞。この改題、ひさびさのヒットだと思う。
これは、贖罪の物語。
盟友を見捨てた少年の。
少年に嘘を貫き通した父の。
そして、民を見捨てた国と、国を見捨てた民の。
君のためなら千回でも - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記少年の頃、平和だったアフガンで一緒に凧揚げをした親友に捨ててきた祖国への思いを象徴させ、 ホッセイニ贖罪として書かれた『カイト・ランナー』は全世界で500万部以上を売り尽くす大ベストセラーになった。
これだけ見ると、あたかも少年の罪とは、故郷に盟友をおいて自分だけ安全なアメリカに逃げたという「後ろめたさ」なのかと思う。私も本書を読むまでそう思っていた。
違うのである。
この少年の罪は、どんな国の誰にもありえて、そしてあってしかるべき罪なのである。
アフガン難民という主人公の立場は、確かにこの物語における贖罪をより難しいものにし、それがこの物語をよりドラマティックにしているのは疑いない。しかしそれだけでは、本書が全世界で売れることはなかっただろう。
本書が扱う罪には、普遍性がある。あなたも、私も、どこかで犯していていてもおかしくない。
本書が見せてくれた贖罪も、また。
贖罪。罪を贖(あがな)う。これは、罪を償うに似ているようで異なることを本書は教えてくれる(ただし英語のredeemには、双方の意味がある。この点は日本語の方が肌理が細かいかな)。償うというのは被害者の被害を弁済すること。よってそれを行うには、罪人だけではなく被害者もいなければならない。被害者がいない場合は、遺族に対して、ということにはなるが、これは償いという点から行けば本質的とはなりえない。
しかし、罪を贖うことは可能なのだ。それも自らの罪のみならず、他者の罪をも。それも神という絶対者なしに。主人公はどうやって己の、父の、そして祖国の、罪を贖ったのか。それは、実は誰にでも可能なことであるが、本書のような物語を通じてやっと気がつくことなのかも知れない。
私も、いつか出来るようになるのだろうか。
君のためなら千回でも。
Dan the Sinner to Redeem
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