これはイイ!

品格は後回しにして、まずは叱ってもらえ!いや、読め。

本書「おとなの叱り方」は、タイトルどおり、叱り方の本。叱るということにかけては今や日本で最も有名な女(ひと)によるものとなれば、叱られずに、いや読まずにいられない。

目次
  • はじめに
  • プロローグ 誰も叱らないなら、私が叱る!
  • 第1章 その人のために叱ってあげたい大切なこと
  • 第2章 「親になる資格がない」おとなを叱る
  • 第3章 「自分らしさ」を広げる生き方
  • 第4章 好かれる叱り方、かわいがられる叱り方
  • エピローグ 自分で自分を叱れる人でありたい

率直にいって、本書の「加齢臭」、すなわち「昔はよかった」調はかなり強い。私は著者が主張するほど昔がよかったとは思わない。いや、本人にあったら「芸能界の色眼鏡で世の中判断するんじゃねえ」と本気で叱るのではないかとすら思う。実際、「昔の人はきちんと叱っていた」ケースを吟味すると、実は怒っていただけというケースの方が多いとほぼ確信している。

それでもなお、私は本書を推す。なぜならば、少なくとも著者に関しては、「怒っている」のではなく「叱っている」ことを示す証拠があるからだ。

それが以下である。

おとなの叱り方|書籍|PHP研究所
芸能生活40年、人を愛するがゆえに歯に衣着せぬ発言を続ける著者が、いまこそ伝えたい声を出すことの大切さ、人がついてくる叱り方の極意。

40年である。私の人生より長い。それも、毀誉褒貶の激しいあの世界、である。確かに芸能界の「世界」に対するプレゼンスは、今世紀に入ってからかなり落ちてはいる。が、依然我々の「アテンション」のかなりのシェアを握っているこの世界で、内輪だけではなく外でも慕われている(でなければクビだ)というのは、著者が怒らずに叱り続けて来た証拠であると私は主張できる。

それでは、「怒る」と「叱る」の違いは何であろうか。

答えはWebで、もとい本書で。

それほど長い本ではないし、本書にはあげあしを取りやすい言葉が実に多い。そこだけ引用して「これはひどい」と見せかけるのはあまりにたやすいのだから。

それでも、以下の部分は引用しておきたい。一人でも多くの人、特に親となる可能性のある人の心にとどめておいて欲しいから。ちょっと長めだが、これくらいなら著者も笑って許してるのではないか。

P. 81

子どものうちは、親にどんどん叱られてもいいと思う。

ときに親は、腹立ちまぎれで感情的に叱ってしまうこともあるでしょう。子どもの方が正しくて、自分が間違っていることもあるかもしれません。でも、子どもの愛情さえあれば叱ってもいいんですよ。

叱り方にマニュアルがあると思っているのかもしれませんが、そんなものはありません。現に私が書かせていただいているこの本だって、決してマニュアルじゃない。

「人はどうか知らないけれど、和田アキ子はこう思うよ」

ただ、それをお伝えしているだけ。叱り方に間違いも正しいもないんです。

もちろんこの引用部分にも、突っ込みどころはいくらでもある。「愛情さえあれば」なんてその最たるものだろう。しかし、怒るを恐れて叱るから逃げがちの人々が多い昨今では、これくらいでちょうどいいかとも思う。「腹立ちまぎれで感情的に叱ってしまう」を恐れるあまり、親になることが怖かった(正直今だって怖い)、一人の親として、これはもっと早く聞いておきたかった台詞だ。

著者は、母の死には号泣しても、父の死には涙は出なかったそうだ。多分私もそうだろう。本書を読んではっきりわかった。私は父には毎日怒られていても一度とて叱られてたことは実はなかったこと。叱っていたのは母の方であることを。

怒ると叱るの違いは、怒った時、または叱った時だけ見ても判定できない。なにしろ「愛情」がそれでは判定できないのだから。しかし、後々の結果を見れば、それが怒りだったのか叱りだったのかははっきりと分かるのだ。そしてそれがわかれば、愛情があったかどうかもわかるのではないか。

怒る者は疎まれ、叱る者は慕われる。

著者は40年かけて証明してきた。私にだってできないはずはない。そして、あなたにだって。

Dan the Remonstrat(ed|or)