アスキー書籍編集局新書編集部の本多様より献本御礼。

自分で言うのもなんだけど、この本の書評を書くのに最適任者は、書評ブロガーとして実際にここで本を、いや読書体験を人一倍売っている私だと自信を持って言える。

広告に関する書籍は少なくなく、そのうちの何冊かは頭で納得できたが、体で納得できたのは本書がはじめてかもしれない。

本書「明日の広告」は、文字通りの本。こういう直球ストレートなタイトルの本というのは、クソ本かスゴ本のどちらかになる公算が高い。本書はまぎれもない後者だ。

目次 - 明日の広告 変化した消費者とコミュニケーションする方法より
    はじめに 〜「なんだか小難しい時代になっちゃったな」とお嘆きの貴兄に
  • 第1章 消費者へのラブレターの渡し方 〜広告という名の「口説き」の構造
  • 第2章 広告はこんなにモテなくなった 〜変化した消費者と広告の20年
  • 第3章 変化した消費者を待ち伏せる7つの方法 〜彼らと偶然を装って出会うために
  • 第4章 消費者をもっともっとよく見る 〜コミュニケーション・デザインの初動
  • 第5章 とことん消費者本位に考える 〜スラムダンク一億冊感謝キャンペーンより
  • 第6章 クリエイティブの重要性 〜商品丸裸時代とネオ茶の間の出現
  • 第7章 すべては消費者のために 〜消費者本位なチームづくり
  • おしまいに 〜楽しくエキサイティングな時代なのだ

それもそのはず。著者はあのスラムダンク一億冊感謝キャンペーンをやってのけた人なのだ。その手口を見るためだけでも、本書は買いである。

著者にとって、広告の明日は明るい。そして私もそれに同意する。頭ではなく、五感で。

ただし、明日の広告は「昨日の広告」とはまるで別物でもある。「昨日の広告」に対して、著者はまるで容赦がない。しかしもっと容赦がないのは著者の中学生の娘さん。著者の業界が昨日、著者本人が今日なら、娘さんが明日といった感じである。広告というものが以下に「超モテ」から「非モテ」になったかというのを、著者はまさに「モテ」を例に紹介している。

しかし、というよりだからこそ、広告はより面白くなりうるし、そして楽しくなりうる。なぜ私がそれを実感しているかといったら、私自身本blogを広告メディアとして活用しているからだ。本blogの広告メディアとしての実力は、昨年「本業だとしてもおかしくない」レベルにまで達している。しかもまだ伸びているのだ。

その私が書評ブロガーとして体感していることを、プロが言葉にしてくれたのが本書なのである。

本書を読まずしてアフィリエイトなどやるなと私は言い切る。

もちろん、本書は完璧ではない。特に残念だったのが、本書のキモでもあるスラムダンクの新聞広告の図。なるべく本書に忠実なレイアウトにしてみた。

P. 155 - 図版はSLAM DUNK | 新聞広告より引用
桜木

読売新聞

流川

朝日新聞

三井

毎日新聞

宮城

産経新聞

赤木

日本経済新聞

木暮

東京新聞

何がまずかったか?それはI.T.Planningのページと比較すればすぐにわかる。同ページでは、6名は同じ大きさで並んでいるのに対し、本書では桜木以外は半分以下のサイズである。これは桜木ファン以外のスラムダンクファンは納得できまい。読売新聞以外の新聞社も同様である。

しかし、それ以上に深刻な問題は、桜木の「いちばん楽しんだのは、僕かも知れない。」を除き、他の5名の台詞が読めないほど小さく潰れてしまっていること。これは本で言えば落丁しているのと同じと言っても過言ではない。P. 155のレイアウトを行ったのが著者なのか編集者なのかはわからないのだけど、これはキャンペーンの理念にもとるのではないか。

しかし、明日の広告においては、瑕疵でさえ「次の機会のきっかけ」となりうる。これは「見せっぱなし」が当然だった「昨日までの広告」では考えられないことだ。

もっとも、「昨日」の言葉である「広告」と「消費者」という言葉に、私はかなりの抵抗感を覚える。例えばホテルの従業員が、そのもてなしで客に覚えてもらったらそれを「広告」と呼ぶのは相応しいだろうか。「狭告」という造語もあまりふわしく聞こえない。「コミュニケーション」という横文字は長過ぎる、何かうまい言葉はないだろうか。「消費者」の方は「利用者」ないし「参加者」というどんぴしゃな言い換えがあるのだけれども。

明日は、明るい。目を覚ましてさえいれば。

Dan the Advertiser