い、以下に同じ。各位しばしお待ちを。
ガラパゴスで暇人は国富に非ず - 雑種路線でいこう原稿がさっぱり進まないのに、またブログを更新している。本当に救いがたいな。けれども誰だって試験の時期に限って部屋を片付けたり、締め切りが迫っている時に限って「これで生産性が上がるんだから」とか言い訳して.emacsを編集したりするだろ。人間ってそういうもんだよ。
必要な暇を作るべくentry.
ガラパゴスで暇人は国富に非ず - 雑種路線でいこうたぶん暇は創造性を刺激しない。それに暇人を増やしたら犯罪者が増えることは統計が証明している。
それは暇が何たるかを知らぬのだ。
「忙」というのは、「時間がない」のではない。文字通り「心が亡い」、すなわち配るだけの心がない、ということなのだ。
荘司雅彦にしろ、勝間和代にしろ、藤沢晃治にしろ、生産性の高い彼らに共通していることが一つある。そしてそのことは、仕事ができる人の意外な特徴ランキング - goo ランキングを見てわかるとおり、皆うすうす気がついている。
金作りに優先して、暇作りをしていることである。
暇というのは、「時間が空いている」ということではない。配るべき心の余裕がある、ということである。彼らの成功サイクルは、以下のとおりである。
- 生産性を向上する
- 向上した生産性を、暇にまわす
- 暇なときに、チャンスが巡ってくる
- そのチャンスをものにする
- 1に戻る
例外は、ない。一つも。
そのことに気がついていない人たちは、忙しい。時間はあっても、その時間を有効活用するだけの心がない。時間が投資ではなく浪費されている。だからとなる。金(貝)がないので、安い仕事に「忙殺」される。これを何回か繰り返せば、ワーキングプアの一丁上がりとなる。彼らは実に忙しい。安月給でこきつかわれるのに。TVの前で過ごすのに。そして、真の暇人たちの揚げ足をとるのに。
渋滞した道路のキャパシティは、全く同じ道路でも渋滞していない状態よりも低い。忙殺とは、そのような状態なことである。生産性を向上するというのは、倍の時間をかけて倍生産することではない。これでは生産は拡大しても生産性は向上していない。生産性を上げるというのは、実は心の渋滞をなくすことなのだ。
今の日本が、なぜヤバいか。金がないからでは、ない。実際、ある。しかしこの金を投資する対象としての、暇がない。暇は生産に必要なだけではなく、消費にも必要だ。暇がなければ、買い物もできない。高額商品ほどそうである。建て売り住宅でさえ1ヶ月ぐらいは暇がないと買えない。自分で青写真も用意するとなると、半年から一年は少なくともかかる。忙人は、生産しない以上に消費もしない。これで経済がよくなるとしたら、経済なんぞおやじギャグにも劣る。
Schoolの語源、(σχολεῖον - scholeion)というのは、暇という意味である。教育は時間を再投資することであるということを疑う人はいないだろう。教育とは、だから暇を作るということなのである。
弾言する。
暇を作れぬ奴に金は作れない。
Dan the Time Saver
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