日経BP出版局竹内様より献本御礼。
すっかり書評が後回しになってしまったが、取り上げる価値がある。
なぜなら、ここ数年、いや10年、いや私の一生を通じて出会った最もユニークなビジネス書だからだ。
本書「がんばれ!銚子電鉄」は、銚子電気鉄道の次長が、いかにして運行停止の危機から同鉄道が救われたのかを語った本。どうやって救われたのか?ネットワーカー、特に2ちゃんねらーを泣き落としたのである。
目次 - 日経BP書店|商品詳細 - がんばれ! 銚子電鉄より- はじめに
- 第1章 「ぬれせんべいを買ってください!」 -- ネットの向こう側にあった良心
- 第2章 銚子のまちと共に歩んで -- 銚子電鉄84年の歴史
- 第3章 銚子電鉄と私 -- 鉄道マンとして25年つとめて
- 第4章 「本日も無事運行を終えることができました」 -- みんなの気持ちをつなぐインターネット
- 第5章 まちづくりとローカル鉄道 -- 地方の鉄道が生き残るためには
- 第6章 これからの地方鉄道 -- すべては、はじまったばかり
- ふろく
- 銚子電鉄 全駅紹介
- 銚子電鉄に乗ろう
「泣き落とし」の成功事例がビジネスにおいていかに少ないかは、まともなビジネスパーソンならよくご存じであろう。個人ですらそれほど多いとはいえないのは、マッチ売りの少女の例をあげるまでもない。ましてや自然人に人権はあっても、法人にはない。優勝劣敗こそビジネスにおける正義であるはずなのに、いかにして銚子電鉄はそれに成功したのか。
泣き落としの成功例は....と考えて私が思い出したのは、申包胥だった。伍子胥の義弟だった彼は、秦を文字通り泣き落とした。この様子は東周英雄伝の「慟哭七夜」に活写されている。
両者の共通点は意外と多い、まずかつてのボスに非道な目にあわされていること。申包胥の王は義兄伍子胥の父と兄を惨殺し、銚子電鉄の前社長は業務上横領で逮捕されている。
そうであるにも関わらず、自分の組織に忠であることも共通している。伍子胥の方は至上屈指の復讐鬼となったのに対し、申包胥はそのまま祖国に残った。本書の著者も、前社長に関しては業務上横領で逮捕されたこと、それにより融資が受けられなくなったことを事実として記載するのみで、恨みがましいことは一言も書いていない。
そして両者とも、自分のためには泣いていない。申包胥が泣いたのはあくまで楚のためであり、そして著者をはじめとする銚子電鉄の一同が「泣いた」のはあくまで電車運行維持のためだった。
緊急報告
電車運行維持のためにぬれ煎餅を買って下さい!!
電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。
銚子電鉄商品購入と電車ご利用のお願い
拝啓、時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。 平素は、弊社鉄道事業並びにぬれ煎餅事業に対して、格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。 さて、早速ではございますが、弊社は現在非常に厳しい経営状態にあり、鉄道の安全確保対策に、日々困窮している状況です。 年末を迎え、毎年度下期に行う鉄道車両の検査(法定検査)が、資金の不足により発注できない状況に陥っております。このままでは、元旦の輸送に支障をきたすばかりか、年明け早々に車両が不足し、現行ダイヤでの運行ができないことも予測されます。 社員一同、このような事態を避けるため、安全運行確保に向けた取り組むことはもちろんですが、資金調達の為にぬれ煎餅の販売にも担当の領域を超えて、取り組む所存でおりますので、ぬれ煎餅や銚子電鉄グッズの購入、日頃の当社電車の利用にご協力を賜りたく、お願い申し上げる次第でございます。
敬具
平成18年11月 吉日
銚子電気鉄道株式会社 代表取締役社長 小川 文雄
銚子電気鉄道労働組合 執行委員長 常陸谷恭弘
従業員一同
無翻、無恨、無私。少なくともこの三無は満たしている必要がありそうだ。
しかし、共通点はそこまで。泣き落とし方と泣き落とした後のふるまいは、両者ともまるで違う。申包胥が泣き落としたのは、援軍を要請した秦の王という「決定権を持つ個人」だが、銚子電鉄が「泣き落とし」たのは、「ネットの群衆」。そして楚を結果的に伍子胥から護った申包胥は行方を消したが、銚子電鉄は「泣く」のをやめ、本来ビジネスのあるべき姿に戻っている。
『がんばれ!銚子電鉄 ローカル鉄道とまちづくり』は『クチコミの技術』の続編である:[mi]みたいもん!クチコミが起きればいい、注目が集まればいい、もはやそんな事態はとっくに去ってしまったことを『がんばれ!銚子電鉄 ローカル鉄道とまちづくり』は教えてくれます。
「前作」の著者に申し上げるのもなんだが、私はこの見方はあまりにも牧歌的だと思う。あれはどう見てもクチコミである前に泣き落としである。この点に関しては、本書の構成を担当した速水さんの以下の意見に賛成だ。
【A面】犬にかぶらせろ!: 銚子電鉄と郊外化と都市計画地元が見捨てたも同然の鉄道を、遠方に済む人たちが、自分たちのノスタルジーで地方の一ローカル線を支援してしまうという問題をはらんでいる。
危機を脱したときこそ、本当の危機なのである。本書は、著者が「泣いて勝った」後どう兜の緒を締めたかが後半をしめている。それはぬれせん事件ほど珍しくも面白くもないけれど、それがきちんとできるかどうかが「泣き落とし」の本当の成果を決めるのだろう。
泣き落としは、昔も今も、成功率の低い邪道であることは変わりはない。しかしあとは逝くしかないという時には、思い出してみてもいいのかも知れない。成功率は0ではなく、そしてネットがその成功率を上げているのだから。
とはいえ、私にはこの方法は真似できない。私はどう見ても「日暮れて道遠し」で「倒行」する伍子胥側の人間だ。自刎する羽目にはなりたくないが、それでも泣き落とすよりはまし、というよりもう何年も前に泣き方そのものを忘れてしまった。うらやましいとは思わない。しかしこういうケースも世の中にはあるのだということを覚えておきたい。
ところで、ぬれせんは私の好物でもある。銚子に行った際に食べてみたし、ヒゲタ醤油の工場も見学したことがある。しかし銚子は「ちょっと買い物」に行くには遠いし、本書のような「事件」があったら通販でも何ヶ月待ちという羽目になるが、そこまでして追い求めるほど私はグルメではない。門前仲町の名物でもあることをうれしく思った。
しかし、門仲にはぬれせんはあっても銚子のあの醤油の香りと海の香りが混じった独特の匂いは、ない。東京からちょっと遊びにいくには実にいい場所だ。著者の今後の活躍に期待する。
Dan the Man Who Forgot How to Shed Tears
1カテ1アイテムの法則かもです。
ほかの鉄道には、
もう、
使えない。
上記は、詐欺の法則ですが。