ナカニシヤ出版編集部米谷様より献本御礼。と同時に書評が遅れたことをお詫び。

家族を連れて行く場所として、ディズニーランドよりも葛西臨海水族園日本科学未来館がお気に入り(といっても、私が出不精の超夜型ということもあって、最近では私をおいてけぼりにして行くことも多いのだけど)の私には堪えられない一冊だった。

本書、「はじめよう!科学技術コミュニケーション」は、CoSTEPこと北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニットが、その活動を一冊の本にまとめたもの。科学の本というよりコミュニケーションの本である。数式も化学式も、式と名のつくものは一切出てこないので、「式」アレルギーの人でも安心して読める。

目次 北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット - CoSTEP発「科学技術コミュニケーションの教科書」ができました より
  • 目次
  • 第1章 なぜ今、科学技術コミュニケーションか(杉山滋郎)
  • 第1部 科学技術コミュニケーションの現状と課題
  • 第2章 科学技術ジャーナリズム(隈本邦彦)
  • 第3章 メディアとしての科学館 その新しい活用に向けて(石村源生)
  • 第4章 サイエンスライターの可能性(難波美帆)
  • 第5章 「参加する市民」を支援する(三上直之)
  • 第6章 科学教育の充実のために(細川敏幸)
  • 第7章 理系研究者にとっての科学技術コミュニケーション(栃内新)
  • 第8章 人文・社会科学と科学技術コミュニケーション(石原孝二)
  • 第2部 コミュニケーションの道具箱
  • 第9章 ラジオ(隈本邦彦)
  • 第10章 ウエブ(石村源生)
  • 第11章 サイエンス・カフェ(岡橋毅・三上直之)
  • 第12章 サイエンス・ギャラリー(宮入隆)
  • 第13章 広報誌(難波美帆)
  • 第14章 出前授業(佐藤祐介)
  • 第15章 広報デザイン(大津珠子)
  • あとがき(杉山滋郎)
  • 本書を読んで改めて感じたのは、「同じ事を、繰り返し、それぞれの人のそれぞれの言葉で語りなおす」ことの重要性。実はこれ、科学、失礼、科学者たちが最もおろそかにしてきたことだと思う。

    プロ、すなわち科学者にとっての科学というのは、最先端の研究。そこでは一番乗りが金で残りは鉛。Winner takes all の原則はビジネスの世界と比べてさえ遥かに厳しい。ビジネスの世界では the first でなくても the toughest であれば挽回できるけど(まさにMicrosoft)、科学者の世界はそうは行かない。ビジネスの世界でさえこんなにストレスフルなのに、それを遥かに上回るとあっては、人々が敬遠するのも無理はないように思える。

    そんな科学者たちだって、やはり人だ。だから「論文捏造」のような事件だってしょっちゅう起きる。「自然科学者になる」というのは死亡フラグに等しいといったら言い過ぎだろうか。

    しかし、科学的発見そのものは、いつの時代に発見されたものでも不思議で愉快でそして役に立つ。船は相変わらずアルキメデスの原理で浮いているし、プロペラはニュートンの作用反作用の法則で船を押す。そして波はフルードの法則に従って発生し、今もなお造船技術者たちはこれらの科学的事実という制限のもとに課題を達成しようかと頭を悩ませている。

    実はほとんどの人にとって、重要なのは「最先端の科学」ではなく「古き佳き科学」なのだ。相対論を考慮しなくてもほとんどの乗り物は設計できる(その乗り物を導くGPSには相対論が必要なのだけど)。ヒッグス粒子が存在するかしないかがはっきりしなくても、量子力学があればチップを作ることも出来る。

    仮にこういったものを一切作る立場になくても、科学は我々の生活の礎である。仮に「西からのぼったお日様が東へ沈む」、日によってどっちから日が昇るのかわからない世界で我々が今のような平和な生活が出来るだろうか。科学は日常茶飯事がなぜ日常茶飯事に収まっているかを知る事でもある。そしてたいていの新発見は、それを突き詰める過程で見いだされる。

    そう考えていけば、「まだわかっていないことを研いで究める」人々だけではなく、「もうわかっていることがどうやってわかったのかを、わかっていない人々に伝える」人々もまた立派な「科学者」ではないだろうか。「科学技術コミュニケーター」というのは、後者の科学者の呼び名のようであるが、もう少し短くできないだろうか、例えば「科究者」と「科教者」とか。

    科究者と科教者の双方が一致していればそれは理想である。例えばファラデーのような。科究者としては秀逸でも科教者としては御免被りたくなる人は多い。もしニュートンが物理の担任だったら、私は座り小便を漏らす自信がある。数学の担任がクロネッカーだったら、教室で首をつっているかも知れない。

    そう考えれば、プロの科教者があってもいいではないか。むしろ科究者はアマチュアをデフォルトとした方がいいかも知れない。たとえばダーウィンみたいに。その意味ではニートに優しい日本というのは科究者の楽園になる可能性を大いに秘めている(というかすでに成果を上げている?)と思うが、それはまた別の機会に。

    科学は面白くて役に立つ。しかし手がかかるのも事実だ。「なぜなに君」たちをきちんと正面から説得していては授業は進まない。いきおい授業は一方通行になる。ブロードキャスティングでなくコミュニケーションというのは、本当に手間がかかるのだ。このことはさらにプロとしての科教者を正当化するのではないか。

    その意味で、本書で一番不満だったのは、費用の話がほとんど出てこなかった事。面白い実験には、それなりの手間も暇もかかる。これらを誰が負担しているのかが非常に気になる。一納税者としてはcostepをはじめとする科学技術コミュニケーションにきちんと税金が回っていることを切望するのだが....

    Dan the Amateur Science Communicator

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