以下を見つけたのが勝間さんのentry経由だというのがちょっとした皮肉だけれども....
でも彼女を見ていて、一概に憧れや羨望以外の気持ちが生まれます。
「果たしてこのような生活が幸せなのだろうか・・・」という気持ちです。
「勝間本」に限らず、いわゆる「成功本」を読んだ人が抱く共通の疑念だと思うので、今書いている、いや書きあぐねている本のメモ代わりにreply.
「果たしてこのような生活が幸せなのだろうか...」に対する私の答えはシンプルです。
それはあなたの知った事、いや幸せではないのだ、と。
勝間和代(ここでは敬称略)が幸せかどうか、あなたも私も知りませんし、知るよしもありません。なぜならあなたも言った通り
人生における「幸せ」は人により違います。
だからです。
おっしゃるとおり、66億人いれば66億とおり以上の「幸せ」があります。
ところが、不幸の形は驚くほど似ています。必要なものがまかなえない不幸と、必要な時間がない不幸の二つは、もっとも普遍的なものではないでしょうか。
もちろんそれらを満たしたからといって、幸せになれるとは言えない。しかし金と時間が充分なければ、「幸せって何だっけ」と考えることすらままならない。それが現実。
もし「成功」を「幸せ」で推し量るのであればなぜ「成功本」というのはこれほど似通った姿をしているのでしょう。これ、実は私にも謎だったのですが、解けました。
「成功本」の成功とは、幸せになる、のではなく不幸を清算する能力を得ること、なのです。そして各人にとっての不幸の姿が、幸福の姿よりもずっと似ている以上、その傾向と対策を書いた本どおしが似る事は必然とも言えるのではないでしょうか。
もちろん「似ては」いても「同じ」ではない。だから様々な人々がさまざまな成功本を書き、そしてそれ以上にさまざまな人々が成功本を読むのだと思います。それを見て「くだらない」という人々がいますが、実は彼らは「成功本には幸せになる方法が書かれてなくてはならない」という思い込みをしているのです。
だから成功本を押し付けがましく感じ、そして成功本の著者に疑念を抱くのです。
成功本は、少なくとも成功した成功本(笑)は、そこまでおこがましいものではありませんよ(でもしつこかったりえぐかったりくどかったりはするかもしれません)。
あなたの幸せは、あなたにしか決められません。幸せは譲渡不可能です。
しかし、金と時間の作り方は譲渡可能で、そして転用可能なのです。あなたや私が転用していいのです。
釈迦だって、出家する前は不幸ではなかったのです。一国の王子で妻子にも恵まれたのですから。彼が出家したのは、他者の不幸を知ってしまい、それに耐えられなかったからです。
幸せになれなどとおこがましいことは言いません。しかし他人の幸せまで考えるのは、仏の仕事であって(文字通り釈迦に説法でなければ)あなたの仕事ではないのです。
Dan the Happy Blogger
P.S.
BKKではたらいていたオトコのトウキョウ出直しBLOG : Kazuyo bubbleそのうち、本当にこち亀にも登場するのではw
オーディオブック吹いたwww
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