金利だけみれば禿同したくなるこの意見になぜこれほど強烈な違和感を感じるかを考えてみた。

国債の最適残高を知りたい! - 評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
素朴に考えてみるに、主に日本の投資家のポートフォリオ選択行動を考えると、日本政府の債務はまだ供給不足なのではないか、という仮説に辿り着く。

私は山崎氏と違って金融の専門家ではない。が、こと国債に関しては、納税者ということで関係者ではある。なので一納税者として、山崎氏の論法に対して覚えた違和感をここに書いておく事にする。

まず借金とはなにか。債務者からすると「明日を担保にして、今日金を手に入れる」行為であると定義できる。ここであえて主語を書かないでおいたのには理由がある。

通常の借金においては、主語は明らかである。「債務者」、すなわち今日借りた者が、明日返す。貸す方は、明日貸したものがどうなるかという予測を立てた上で、そいつに貸すのか貸さないのか、貸すとしたら金利を含めどういう条件で貸すのかを決める。ここにおいて、「今日借りる者」と「明日返す者」は同一である。

ところが、国債の場合、「借りる者」と「返す者」の主語が変わるのだ。国債の場合、借りるのは「現在の日本人」。ところが返すのは「将来の日本人」。この二つは同一人物ではない。借りた時点における日本人の中には、返す時点ですでに死んでいるものもいるだろうし、返す時点における日本人の中には、まだ生まれてすらいないものさえいる。

山崎氏の論点の違和感の原因、それは日本人というものがあたかも単一の存在のように扱っていることにあるのだ。国債というのは単に日本人(の代理人としての政府)が借りて、日本人が返すものではない。親が勝手に金を、子が返すという仕組みなのだ。

それでも、まだ人口も経済も右肩上がりの場合は、国債の発行を正当化されうる。たとえば国債を借りる立場の親世代が、それを子世代のために投じた場合、子世代は明らかに利益を得たのだからその分国債を償還するという形で還元するという考え方がなりたちうる。高度経済成長の頃の日本というのは、そういう形で回っていたように思う。確かに親が子にナイショで借金はしたが、その借金は確かに日本の経済力を高めるのに役立ち、子どももそれを享受した。

ところが、今やどちらも右肩下がりなのだ。そして国が借り上げた金は、子世代のために投資されるのではなくて親世代のために使われている--ように見える。親が借金までして放蕩しておいて、そのつけを子どもに支払わせるというのは経済以前に生物学的に正しいとは思えない。

少子高齢化時代における国債の発行のあり方というのは「親が子に黙って借金」モデルではいけない。国債そのものが悪いとは言わないが、少なくとも「親が借りた分は親が返す」モデルになっている必要があるだろう。その意味においても、相続税100%というのは正当なモデルに思える。

404 Blog Not Found:Spend Now, Pay Later -- Posthumously
以前取り上げたように、65歳以上の平均貯蓄残高は2423万円。不動産が4251万円。ただしこれは世帯あたりなので、単純に2で割って3337万円。これに100万をかけるとざっと33兆。赤字国債を帳消しにできるほどの額だ。

このモデルのよいのは、国債という「世代間借金」という特殊な借金を、一般的な「借りた者が返す」という形に落とし込めることだ。これであれば若者も支持できるのではないか。

また、このモデルを使うと、山崎氏の疑問である「国債の最適残高」も比較的簡単に割り出せそうだ。まず「国債の最適起債額」であるが、「その国債の償還時期に見込める相続税の総額」というのが天井になる。これを積み上げていけば、「国債の最適残高」になる。

問題は、現在の税制がそうはなっていないことだ。現在の税制は、フローがメインでストックにはそれほどかかっていない、若年者搾取型になっている。まずはこれを変える必要があるのではないか。

Dan the Taxpayer