悔しい(というのも変だ)が、同意する。

福田政権の無為と女性的資本主義について (内田樹の研究室)
経済活動は個人資産が広い範囲に薄くばらけている方が活発になる。それゆえ、貧富の二極化を私は(人権的配慮よりはむしろ)穏健なる資本主義者としての観点から好ましからざるものと見ているのである。

そのことを、「資産家上位1%の27%が港区に居住している」一名となってからより強く実感するようになった。もっとも私の住まいは中央区なのだけど。

福田政権の無為と女性的資本主義について (内田樹の研究室)
アラブの王族が10億円で自家用ジェット機を買ってハワイに飛び、五つ星ホテルを借り切ってひとり宴会をすることがもたらす経済波及効果は、一万人の日本人ツーリストが10万円の格安チケットでハワイツァーをした場合のそれに遠く及ばない(ホノルル国際空港の空港使用料収入に限って言えば一万分の一である)。そういうものである。

これと全く同様のことを、私は以前書いている。

404 Blog Not Found:社会が一流なら、きみは一流でなくてもいいかも
都内でフェラーリに乗っても、12気筒があくびをするだけ。むしろ車としての効用はプリウスの方がずっと大きい。三ツ星レストランなんて、月に一度も行けば「おなかいっぱい」。時計なら何もロレックスを買わなくてもケータイで間に合う。今や金持ちアイテムのほとんどには、記号としての付加価値しかない。

そういうわけで、今の私は累進課税、というより富の再配分に賛成である。

ただし、それ以上に重要な要件を一つ満たす必要がある。

誰に、富が再配分されるか、である。

かつてそれは、「官が決めた公」であった。それは高速道路や新幹線のような箱モノだったり、官が成長を見込んだ産業だったりと様々だが、重要なのは、累進課税によって集められた富は、民に分散再配分されていたのではなく、公に集中投資されていたということである。

まだ日本が発展途上国で、何をすれば先進国になれるのかが明らかな時代はそれでもよかった。昔も今も 、富の投資効果というのは集中するほど高まったのだから。

しかし、今や日本はこれと全く逆の状況にある。今足りないのは投資ではなく消費、内田先生の言うところの享受的消費の方である。今後何を作ったら良いのか、役人は知らないし、何を買ったらいいのか金持ちたちも知らない。

だから、富は本当に再配分されなければ行けない。公に集中投資されるのではなくて。

この点において、国という再配分装置の信用は最低である。国がどこに富を投じるかに疑念を抱く点においては、「勝ち組」も「負け組」もほとんど同じである。そしていざ再配分となると、今度はそれを受け取るはずの「負け組」がバラバラとなる。「ウチによこせ」「いやウチに」。結局公平の名の下に、「誰のものでもない」箱モノが増えて決着がつく羽目になる。

これを防ぐ一番のやり方が、ベーシック・インカムだと今は考えている。なにしろ全員同額である。「ウチによこせ」は起こりようがない。しくみがあまりに簡単なので運営コストもべらぼうに安い。そして何より、その使い道は、「お上」ではなくて「各自」が考えなければならない。

この最後の部分が重要なのだ。

404 Blog Not Found:ベーシック・インカムに賛成するのに十分なたった一つの理由
それはベーシック・インカムが、受給者、すなわちこの場合は全ての人々に、選択権を与えることと同様だからだ。

ハワイに行くのか熱海に行くのか、はたまた貯金してしまうのか。しかしどんな場合においても、それをどう使うかは各自の考え、各自の知恵なのだ。日本が100人の島なら、1人の村長の考えでもなく、10人の長者の考えでもなく、100人の考え。

実は、金だけ渡すというやり方は、形を変えた徴税と見なすことも可能である。ただし、徴税されるのは富ではなく知恵という意味では。

金は作る時よりも、使う時の方が知恵を要求する。

この苦しみ(苦笑)を、皆で分かち合おう、というわけなのだ。

ベーシック・インカムは、慈悲深い制度では実はない。富と引き換えに慈悲を取り上げる制度なのである。その慈悲と引き換えであれば、金持ちたちもより富を差し出しやすくなるのではないか。

Dan the Taxpayer