not-to-do リストが流行りそうだ。

「しないことリスト」で考えてほしいこと - My Life Between Silicon Valley and Japan
日経ビジネス・アソシエ2月19日号は、「できる人の「しないことリスト」」という特集だ。僕も常々「やめることを決める」大切さを主張しているので、興味を持って読んでみたのだが、非常に面白い発見をしたので、ここでご報告しておこう。

というわけで、私のそれも公開しておくことにする。

私のそれは、実に簡素である。なにしろ、項目が一つしかない。

弾の not-to-do リスト

  1. not-to-doリストを作成する

要は 「not-to-do リストは作らない」ということである。

なぜか。

リストに甘えたくないからだ。

リストの効用とは、何か。思考の節約である。to-doにしろnot-to-doにしろ、リストがあることで、やることは「思考」ではなく「リストへの照合」である。プログラムを書くのが思考、またはリストの作成とすれば、リストの適用というのはプログラムの実行である。プログラムを書くのと使うのとではどちらが楽かといったら当然後者である。

「しないことリスト」で考えてほしいこと - My Life Between Silicon Valley and Japan
何が違うか。それは自動的に「しないこと」が判断できるということだ。その都度、この人ならいいやとか、そういう曖昧な判断がいっさい入らないことが大切なのだ。

さすが梅田さん。リストの本質がよくわかってらっしゃる。松本リストはコードに落とせないが、川本リストはコードに落とせる。

リストとはプログラムである。プログラムであるが故に、状況がリストの想定の範囲内に収まっている限り効率的だが、リストが想定しない事態が発生した時に破綻する。そして破綻の確率が低いプログラムが破綻した時ほど、破綻の際のダメージ大きい。

それならば、リストを廃することで常に一定の緊張感を保っていた方がいい、というのが私の私に対する結論だ。

そんな私も、to-doリストは作る。もっとも何もかもto-doリストに落とし込むわけではない。自分が他者に対して確約したことのみをto-doリストに入れる。こちらに関しては結果が問われるからだ。結果の成約率を高めるための工夫を惜しむべきではない。

しかし何をリストに入れるか、また入れないかを決める「メタリスト」は作らない。not-to-doリストというのは、その意味ではメタリストなのだ。だから作らない。

私はメタが好きである。三歩目にはメタに走ろうとする。blogを読み直してもメタ発言の多さに苦笑してしまう。本entry自体、メタ発言の一種である。それだけに、メタの恐ろしさも強く実感している。だから、to-doリストに関しては、「メタリストは使わない」というメタリストを上に一つだけ起き、それ以上のメタ化を封じることにしたわけだ。

「それで脳力が足りるのか」「それって脳力の無駄遣いじゃないのか」という突っ込みも当然あるだろう。実はこれに対してはリスト以外のやり方があって、私が採用しているのはそちらである。が、これに関してはentryを改めて書く事にする。

Dan the Lazy Evaluator