アスペクト貝瀬様より直献本御礼。

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男一代菩薩道

インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺
小林三旅/ 今村守之構成

ジャイ・ビーム!

事実は聖典より奇なり。

「スゴ伝記」という意味では、今まで読んだ中では最もスゴい伝記であった。

本書「男一代菩薩道」は、2004年にフジテレビで初放映された「NONFIX : 男一代菩薩道〜インド仏教の頂点に立つ男〜」を元に、追加取材を加えて一冊の本にまとめたもの。この番組、DVD化されていないのか、今すぐ買いたいのだが。

佐々井秀嶺。その人生は、まさに男一代菩薩道であった。

目次
プロローグ
第1章 取材には一人で来なさい
第2章 インド到着、デリーからナグプールへ
第3章 インド仏教徒の都、ナグプール
第4章 インド国籍取得、大菩薩時奪還闘争
第5章 龍樹菩薩の地、マンセル遺跡へ
第6章 永遠の求道者、佐々井秀嶺
第7章 ナグプールに生きる仏教徒たち
第8章 仏教徒の祭り「大改宗式」始まる
第9章 帰国、そして番組放映
第10章 再び、ナグプールへ
あとがき
佐々井秀嶺 年譜
『NONFIX 男一代菩薩道』取材行程(2004年9-11月)

ではその佐々井秀嶺とは、一体どのような人物であろうか。

男一代菩薩道|アスペクト ASPECT ONLINE
■佐々井秀嶺の軌跡
1935年 岡山県生まれ、本名佐々井実。25歳で出家し、高尾山に入山。
1967年 渡印、マハーラーシュトラ州ナグプール市で布教活動を開始。インド憲法の父B・R・アンベードカルが創始した新仏教運動に影響を受け、仏教の再興と不可触民の救済に従事する。
1988年 ヒンドゥー社会からの度重なる弾圧をはねのけ、インド国籍を取得。
1992年 聖地・大菩提寺の奪還闘争、数千人の不可触民と敢行した5000キロの大行進は、全インドの注目を集める。
2003年 全インド宗教的マイノリティ委員会の仏教徒代表に就任。

タイを経て33歳でインド入りして以来、40年一度も日本に戻らず、仏教の生誕国で全国の仏教者を束ねている。それが佐々井秀嶺である。「篦棒な人々」の「正義の味方」、川内康範でさえこの人の前では「小僧」に見えそうになる。

そんなすごい人のことを、私は本書を読むまで全く知らなかった。

実に痛快である。これだから本読みはやめられない。自分の無知を思い知らされることほど痛快なものはないのだから。

buddhist map

もう一つ知らなかったのが、仏教がインドで再興をとげていること。その中興の祖が、ビームラーオ・アンベードカル。こちらは名前しか知らなかった。インドの憲法の父でもある。

ビームラーオ・アンベードカル - Wikipedia
ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル(Bhimrao Ramji Ambedkar、[] 1891年4月14日 - 1956年12月6日)はインドの政治家・思想家で、インド憲法の草案を作成したほか、不可触民(ダリット)改革運動の指導者、近代インドにおける仏教革新運動の指導者である。

秀嶺師は、このバーバー・サーハブの遺志を継いだ人でもあるのだ。

しかし、知らないのはむしろ当然なのかも知れない。なにしろWikipediaすら、秀嶺師やバーバー・サーハブのことはのせていても、彼らの功績に関しては無知なのだから。

それは右の図を見ればわかる。これは仏教徒の分布図なのだが、インドにはほとんどいないことになっている。ところが、本書によれば、インドには1億人からの仏教徒がすでにおり、11億人のインド人からすればマイノリティではあるが、もはや無視できない一大勢力となっているのだ。秀嶺師はマイノリティ委員会の要職にあったが、そこの一角を占める程度には仏教は復興しているのだ。

世界、いや「北の国々」は、まだこのことを知らない。佐々井秀嶺ほどの人物ですら知られていないのだ。

自分がいかに狭い世界の住人かを、久しぶりに思い知らされた。そのことだけでも、本書には一読の価値がある。

Dan the Ignorant