白川静先生が亡くなって1年余り。このような本が出ていたとは。

漢字の楽しさと怖さを改めて再認識。

白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい」は、白川静の遺作。出版されたのは死去の直後だが、本書の執筆時は確かに監修されたことが本文から伺える。そして白川静亡き後、それを襲って書かれたのが「白川静さんに学ぶ 漢字は怖い」だ。

本書は、どちらも著者は白川静本人ではなく、その弟子に当たる小山鉄朗。どちらも共同通信社から出ているのは、著者の職場繋がりだと思われる。

そう。繋がり。字の時間的繋がりを究めたのが、白川静その人であった。その白川静を、小山鉄朗は「先生」ではなく「さん」と呼んでいる。私でさえ畏れ多いと最初は思ってしまったが、本書を読むに従い、白川静に対する敬称は「さん」もっともしっくり行く事を納得した。

「漢字は怖い」 P. 316
白川静さんはフィギュアスケートの荒川静香さんのファンでした。「しらかわ・しずか」と「あらかわ・しずか」は、名前が一字しか違わないこともあったようです。その荒川静さんは数分の演技で世界中に知られる人になったのに、自分は何十年も漢字の研究をしているのだが、まだまだだなあ、と言って周囲を笑わせていたそうです。

なんとお茶目な。

その白川静さんの業績を、よりわかりやすくよりカジュアルにまとめたのがこの二部作で、むしろ白川静さんの人柄には、「字訓」、「字統」、そして「字通」のような「かたくてあつい」本よりも、本書のような体裁の方が似合っているように思えた。

そしてある意味、この二部作は白川オリジナルを越えている。本二部作には甲骨文字、金文、篆文に加え、はまむらゆうのイラストがついていて、これが素晴らしいのだ。「白」にしろ「道」にしろ、字源はなかなかおどろおどろしいのだが、そのおどろおどろしさを損ねる事なく、それでいてなまぐさくないこのイラストは、本二部作のコンテキストにぴったりなのだ。

とはいえ、この二部作を読んでしまうと、「さらに体系的なものが欲しい」という気持ちも強くなる。私はついに我慢できず、「字」三部作を買ってしまった。合計5万円以上。ははは。

楷書、篆書、金文、そして甲骨文字....漢字というのは時代をさかのぼればさかのぼるほど、字を越えた迫力を増すように感じられるが、それもそのはず、字はかつてただの記号ではななかったのだ。「白」は本当にしゃれこうべの白であり、「道」の「首」は本当に生首で、首のかんむりは髪をもってぶらさげた時の髪のありさまなのだ。

だからといって、今の漢字が「ふぬけ」というつもりはない。記号化したことで、字は格段に使いやすくなった。血のりのべったりついた状態より、乾いて臭いもなくなった状態の方が使い勝手はずっとよい。

しかしそれがどこから来たのかあえて知る事。それが教養なのだと改めて実感する。それを我が家の娘たちにもわかるような形で再紹介した本二部作はまさに教養書。教養は強要されても身につかない。面白いからこそ身につく。そして本二部作は本当に面白い。もちろん「つら」が「しゃれこうべ」という意味でなくて。