私は前者なのだけど、それでも個人blogという点では一介のbloggerだと自負しているので私なりのまとめも。
個人ブログを破滅させる11のことがら - NC-15ただ、誰もがアルファブロガーになりたいってわけでもないだろうし、mixiと似たような感覚で通常日記を書いてるブロガーもいるだろう。というか、大体のブロガーは後者のほうじゃないかと思う。
それを踏まえたうえで、ブログを破滅させてしまう行動を列挙しようかとおもう。
- アクセス数アップを狙わない。しかし恐れない
アクセス数が多ければいいというものではもちろんありませんが、だからといって「アクセス数が多い=内容が薄い」ということにはなりません。アクセス数が増えると確かに「うざい」反応も増えますが、それ以上に「面白い」反応や「役立つ」反応も増えます。
この「反応」こそがblogを書き続ける際の「主食」。健康的なアクセス数欲はblogの健康にも有用です。
- ニュースソースは複数用意する
複数あれば、そのごくわずかな違いから各者の視点を見抜く事もできます。またそれを見抜くことで、自分にしか書けない記事を書けるようになる公算も強くなります。
- 他人のパクリはパクっていることがわかるようにしておく
元ネタは必ずリンクしておくこと。本などそれがない場合は、そうとわかるようにしておくこと。そうしておけばパクリはパロディやオマージュになります。
blogの場合、これらを実装する点において遥かに旧来のメディアよりも勝っています。例えば引用はblockquoteタグで囲んでおけば間違えようがありませんし、さらにCSSでそれを強調しておけば視覚効果的にも混同のしようはありません。そしてクリックするだけで引用元に直接アクセスできるリンクは、紙では真似しようがない。
どんどんパクりましょう。ただしパクリ元への敬意とリンクを忘れずに。
- 誤記は直した記録を残す
私の場合、コメント欄がこれに相当します。かつては
消しましたもよく使ったのですが、記事が読みにくくなるのと、コメント欄がログになっているのとで今では記事は普通に訂正した上でその旨をコメントするスタイルに落ち着きました。 - 微妙なネタを扱うときこそ、「私」の視点で語る
「中立的な視点」というのは台風の目のようなもので、中はからっぽなものです。むしろ中立というのは立場を鮮明にする個人どおしが、相手を尊重しつつ対立を維持した方が得やすいもの。天秤棒を持った方が(慣性モーメントが増して)綱渡りの安定感が増すように。
あくまで経験即ですが、なまじ中立的な意見を述べようとすると、今度は「上から目線」と見られがちなのです。
- 自分の意見は自信をもって語る
それが間違っていることを自覚したら、こんどは自信をもって新しい意見を言えばいいのです。
むしろ意見そのものに自信がないときこそ、あえて断言するぐらいでちょうどいいとすら思います。むしろその方がその後の意見の展開が迅速かつ鮮明になります。
blogは完成品ではなく、途中経過なのです。その時点で「正しく完結している」必要などないのです。
- コメントにはコメントしない
コメントしたい場合は、別entryをあててしまうことにします。唯一の例外がtypoです。
コメント欄で議論している方は、blog主がそのblogにおいては絶対の独裁者であることを忘れがちです。blog主は、その記事を削除することはおろか、その記事を痕跡なしに訂正することすら可能だということを覚えておいて下さい。
そのblogと対等に議論したいのであれば、自分のblogで発言したうえでTBするか、そのことのみをコメントすべきでしょう。
- 詫びる気もないのに謝らない
炎上の過程を見ると、謝らないことよりもむしろ詫びる気持ちもないのに、「これはとにかく頭を下げておかないとまずい」とばかりに頭だけ下げて、その姿勢がさらに火を油を注いだというものをよく見かけます。それであればはじめから何もしない方がマシというものです。
謝るのは、blogを書く以上の高等なテクニック。後で詫びを入れる羽目になるぐらいなら、最初から書かない方がいいのかも知れません。しかし書いて叩かれないと、このあたりの間合いはつかみにくい。
「死なない程度にけがを恐れず行きましょう」というのが目下のまとめになりますか。
- 実力行使の可能性を常に念頭におく
論争に関して言えば、あくまでも言論のフィールド内でケリをつけるべき話っす。
同感。その一方で、それが通用しない相手がいるというのもまた世の常。
私自身は論争は論争で決着をつけるのがフェアであり、なるべくフェアにことを進めようとしているつもりではありますが、アンフェアな相手に手段を選ぶつもりもまたありません。
私がここで言いたいことを言っていられるのも、リアルの方に充分な担保が積んであるからでもあります。この点において私はほとんどのbloggersよりも優位にあるのは確かです。なにしろ「舌禍」で職を失う心配をしなくて済むのですから。
- アクセスアップより主張力アップ
アクセスアップというのは、つまるところ「読者が読みたいものを書く」ということです。プロの書き手であれば当然意識しなければなりません。しかしこれをきちんとやっているプロの書き手というのは、「こちら側」のメディアにおいても日本では少ない。個体レベルできちんとやっているライターは日垣隆ぐらいではないでしょうか。
他方、bloggersというのは、そのほとんどがアマチュア。私は収益があるのでその点に関して言えば「セミプロ」ですが、結果を確約していないという点ではやはりアマチュアです(これは書評も同様。プロだとしたら、献本は書評を確約した上で受ける)。アマチュアである以上、blogを書く目的というのは「自分が言いたい事を言うこと」なのです。
- いつ誰が見るのかわからないという基本を忘れない
これはid:muffdivingさんと同様。いつ誰が読んでもいいというのがblogの根本です。読者を限定したければSNSもMLもあります。
私は実名至上主義者ではありませんが、この原則に関して言えば、実名を出している方が、「あれはネットで言った事だから」という言い訳を排除している分実名の方が有利だとは思います。ただしあくまで有利ということであって、決定的なものではない。実名でない人は、人一倍気をつけましょう、ということです。
- あくまで個人の意見だという根本を忘れない
しかし、以上に増して重要なのは、個人blogはあくまで個人メディアであるという根本。個を排して公を求めるのであれば、Wikipediaなどのメディアもありますし、(うまく行っているとは言いがたいけれど)既存のメディアとてそれを標榜しています。
個人blogは、あくまで個人の、個人による、個人のためのメディアというのが原点。メディアとして成長すれば、「個人のための」が「みんなのための」へとある程度変遷して行きますが、「個人の」は最後までつきまといます。
本blogは、あくまで小飼弾の、小飼弾による、小飼弾と読者のためのメディアです。そのことを改めて申し上げて本entryをしめくくることにします。
Dan the Blogger Hereof
あんまり難しいことを考えずにゆる〜く更新している俺としては、
今さらながらに気づかされたことも結構ありました。