〈「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い〉は、ダントツで山田真哉の最高傑作。
であると同時に、著者の(現在における)限界を示す本でもあった。
〈食い逃げされてもバイトは雇うな〉そして〈「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い〉は、今や日本で最も有名な会計士の一人である著者の「禁じられた数字」シリーズの上下。ミリオンセラーとなった〈さおだけ屋はなぜ潰れないのか?〉とあわせて三部作という見方もできるが、「さおだけ屋」はブックオフ行きでかまわないしどうしても読みたければそこで買えばいい。「食い逃げされてもバイトは雇うな」は「さおだけ屋」よりも良著なので、読めば得だが読まねば損ということはない。しかし「なんて大間違い」は、読まねば損レベルの快著である。
以上が会計的思考による結論だが、非会計的思考だと「禁じられた数字」は上下とも持っておくべきである。いずれにせよこの二冊があれば「さおだけ屋」はいらない。
目次 - 食い逃げされてもバイトは雇うな 山田真哉 | 光文社新書 | 光文社より- はじめに 数字は、99%の意識と1%の知識
- イントロダクション 「Web2.0」『ゲド戦記』がすごい本当の理由
- ――数字のルールはたったの4つ
- 第1章 今日は渋谷で6時53分
- ――数字がうまくなるための技法
- 第2章 タウリン1000ミリグラムは1グラム
- ――ビジネスの数字がうまくなる
- 第3章 食い逃げされてもバイトは雇うな
- ――会計の数字がうまくなる
- 第4章 決算書の見方はトランプと同じ
- ――決算書の数字がうまくなる
- 「あとがき」というか「なかがき」というか解説
- はじめに 宝くじは有楽町で買うべきか否か
- 第1章 数字の達人は、特になにもしない
- ――数字のウソ
- 第2章 天才CFOよりグラビアアイドルに学べ
- ――計画信仰
- 第3章 「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い
- ――効率化の失敗
- 第4章 ビジネスは二者択一ではない
- ――妙手を打て
- 終章 会計は世界の1/2しか語れない
- ――会計は科学
- あとがき
- 索引
ここで私は「会計学的思考」「非会計的思考」という言葉を使った。それらが何を意味するかがこの上下巻のキモだが、上巻の主張を下巻で「下している」ところに、「なんて大間違い」の価値がある。
そういうわけなので、実は下巻は「単体」としては成立しない。まず「会計学的思考」が出来ていないと下巻の面白さは半減してしまうからだ。しかし「会計学的思考」なら、「食い逃げされてもバイトは雇うな」以外でも得る事が出来る。それが出来ている人であれば、「なんて大間違い」だけ入手してもよい。
「なんて大間違い」が画期的なのは、会計士本人が会計の限界をきちんと説明したこと。
P. 231ですから、会計側の発想から生まれているものについては、それがどんなに優れていても世界の1/2しか語る事はできません。
この一言のために、「本書」をまっぷたつに分け、片方を「釣り餌」にした著者はなかなかの孔明である。ただし誤解しないで欲しいのは、「食い逃げされてもバイトは雇うな」は単体でも「釣り餌」以上の価値があること。このあたりの「客に損させない」という著者のさじ加減ぶりは、潰れないさおだけ屋なみに鋭い。
そして、それこそが、著者の限界でもあるのだ。
P. 239数字のセンスの神髄とは、結局のところ下巻の終章でいった、複数の視点を持つということだと思います。
そう、「思います」。著者は本書を「考えて」書いているのだ。
それが、著者の限界。
本当にすごい商売人は、同じ、いやそれ以上の結論を考えずに下せるのだ。そういう商売人も時も、時にはその結論に至った思考の道筋を説明することもあるが、それはその道筋に沿って考えてそういう結論を出したのでは決してなくて、まず結論があって、それがわからぬ人に説明するためにそうしているのだ。
考えて結論を出す人は、会計士やCFOやCTOには成れても、CEOにはなれない。CEOに必要なのは会計的であれ非会計的であれ「決断」。「思考」でも「視点」でも実はないのだ。
彼らは、「考える」以上に「悩む」。「考える」は、思考を練ること。「悩む」は意思を鍛えること。この両者は似ているようでかなり違う。一番簡単な違いは、前者の極意は本に書き下ろせるが、後者は今の頃無理だということ。
私自身、どちらかというと「考え」よりの人間だ。しかし「悩み」よりの部分もあって、だからこそ私より深く賢く考える人々の大多数よりも金銭的には「うまく」やった。だからわかる。全身で決断を下せる奴に、考えて結論する人はかなわない、ということが。
だからといって、決断者が結論者に劣る、というわけではない。それはあくまでビジネスにおける価値であって人としての価値ではない。商売人としての著者は、たとえば孫正義の足下にも及ばない。韓非は始皇帝になるどころか、論客として劣るはずの李斯ほど長生きすることはできなかった。だからこそ韓非は書を遺すことが出来たのだし、そして著者も本作を著すことが出来たのだろう。
その意味において、圧倒的多数の人々にとっては、「天才」が要求される起業者を目指すよりも、努力がよりリニアに反映される「数字とその限界がわかる者」を目指した方が、会計的にも非会計的にも理にかなう。著者も言うように、
P. 242意識さえすれば数字は誰でもうまくなれるのですから。
Dan the Man Who Thinks Little Enough to Be a Millionaire, Thinks Too Much to Be a Billionaire
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