講談社ビジネス編集部広部様より献本御礼。いつもありがとうございます。

2008-02-23 - Economics Lovers Live
ほぼ書店に出ていると思います。どうかよろしくお願いします。

というわけで読んでみたのだけど、オビにある「正しい暴論」をみて、「ヤバい経済学」みたいな不謹慎さを期待すると肩すかしを食らうのではないか。

本書、「不謹慎な経済学」は、経済学者田中秀臣の最新作。この著者が学者であり、そして私が学者でないということが、著者には充分「不謹慎」な「暴論」であっても私にはそう感じられなかった理由かも知れない。

目次 - 講談社BIZ-netより
はじめに 「お金がすべてではない世界」を創るために
第1章 パリス・ヒルトンが刑務所で得たもの
第2章 人間関係が希薄化したのは、みんなが望んだからだ
第3章 オーラルセックスとエクスタシーの経済学
第4章 社会保障はテロリストのおかげで生まれた
第5章 官僚の天下り、本当は正しい!
第6章 ニートもハケンも、役人の利権を生むだけだ
第7章 経済の安定は攻撃的ナショナリズムを和らげる
第8章 ボランティアを義務化すると、経済格差が拡大する
第9章 最低賃金を引き上げると、失業も雇用も悪化する
第10章 ノーベル賞受賞者は、なぜ人種差別主義者と呼ばれたのか
第11章 アルファブロガーはラーメン屋に行列する人と同じ
第12章 リークと無責任の海に沈んでいくトンデモ中央銀行
第13章 クーデターが戦前の日本をデフレ地獄に突き落とした
第14章 「主権在米経済」が失われた10年に幕を下ろした
第15章 W杯や五輪が終わると、開催国は不況になる
第16章 世界最大の債務国アメリカの経済はいつ崩壊するのか
おわりに エコノミストは横並びがお好き

目次を見ての通り、本書では多彩な話題が取り上げられている。いや、多彩すぎるのだ。そのおかげでどこに焦点が当たっているのかわからない。「目玉商品」が何なのかわからないのだ。これが「ヤバい経済学」になると、章はたったの6つ。しかも「合州国で犯罪が減少したのは、中絶合法化のおかげ」という「目玉商品」、あるいは「暴論」があり、同書上梓の後でも著者blogを賑わせている(本書の11章にも取り上げられている)。

ただでさえ多彩なところにもってきて、本書には実に引用が多い。それも段落を分けて引用するのではなく、地の文の中に「」でくくって引用する形式で。その上ある意見に対し、最右翼と最左翼を実に平等に引用しているので、素晴らしいまとめにはなっているのだが、「それでは著者の意見は如何に」というところで紙幅がつきてしまっているのだ。

このことは、blogを含む著者の他の作品にも共通した特徴である。いや、書籍を商品と見なした場合には「問題」である。なぜなら読者が読みたいのは「正しい」論よりも「暴論」なのだから。「正しい暴論」となっていれば理想だが、本書は正しさには満ちあふれていても「暴」が明らかに不足している。

それでは、なぜ著者の作品は「暴」が足りないのか。ここからが私の暴論である。

それは、「暴」の経済的効用が、日本の学者にとっては大きなマイナスだからだ。これは学者に限らず「組織人」にとっては古今東西事実なのだが、日本のアカデミアは特にそれが強いように感じる。

これに対し、「著者」としての経済的効用を考えると、「暴」というのはプラスである。いや、もう少し正確に言うとハイリスクハイヤーリターンである。「暴」があるから売れるわけではないが、売れる本には「暴」がある。「正しさ」は二の次である。「売れたときに暴で、後に正が確認された」というのが理想だが、そうでないベストセラーは山ほどある。

「著者」より「学者」を取った、というより学者であることが体にしみついている。それが読者の立場からみた著者の欠点である。これは著者のみならず、日本の学者著者に共通した特徴に感じられる。

しかし、アカデミアの役割は、娑婆では暴論とされることも自由闊達に議論、いや暴論のバトルロイヤルを繰り広げるためにあるのではないか?その過程で「正しさ」を先に発見し、その「正しさ」が充分「強く」なるまで「育てる」ための「苗床(セミナー)」として機能しなければならないのではないか?

実際、欧米(失礼でもこの件に関しては「正しい」)では、ケインズもハイエクもフリードマンも、今は正論でも彼らが活躍した当時では暴論を展開してきた。展開してきたからこそ、彼らは名を残したともいえる。どんな論だって、生まれたときは暴論なのだ。

しかし、日本のアカデミアは、それを経済的かつ経済学的に解決している。あらかじめ「育て上がった」「暴」を輸入してくるのだ。そうすれば、「暴」のリスクを負わずに「正しさ」というリターンを得る事ができる。「暴」の代金はかかるが、それは必要経費というものである。

本書は読者にとっての経済学エンターテイメントである以前に、著者が「エコノミストは横並びがお好き」のエコノミストの中の一人であることの証明書であるというのが私の読後感であるが、これが「正しい」のか「暴論」なのかは是非自分の目で確認されたし。

Dan the Economic(al)? Animal