これは、同意、というよりちょっとひがさん読みが朝杉、と思うけど、

モッチーに絶望した - ひがやすを blog
Matzは、すごい人だけど、Matzとの対談で、オープンソースの人間的本質がわかったと思っているモッチーには、絶望したよ。

ここじゃない、というところにちょっと驚き、

シリコンバレーからの手紙:目からうろこが何枚も落ちたオープンソースの“人間的本質”
TB先:目からうろこが何枚も落ちたオープンソースの“人間的本質” - My Life Between Silicon Valley and Japan
しかし日本人でたった一人だけ、世界中の人々が使うソフトウェアをオープンソース方式で開発したリーダーがいる。

たった一人はねーだろーよ、あーたが役員勤めているはてなだってPerl使っていて、そこには私が書いたコードだって結構入っていて、それは別に日本人のためだけに書いたわけじゃないって、しかもPerl単体じゃ仕事にならなくってCPANのモジュールどっさり使ってるはずだけどその多くが Made in Japan で....

というのはちょっと中二病的なツコッミだとは思う。この程度の表現上の誇張で目くじらを立てていたらとてもオープンソースブログラマーなんてやってられない。けどつっこんで置く必要はあると思う。もっと足元のブログラマーたちにも話を聞いてみろって。せっかく今はmalaもいるのだし、モッチーはskypeでどついてもらうべきだろう。オープンソースを充分知っていたら、「たった一人」って表現は口が避けても胃炎のは確か。

で、本題。

モッチーに絶望した - ひがやすを blog
ならばその自発性はどこから生まれるのだろうか。そこにオープンソースを考える本質がある。
「私の動機は利己的なものです」
Matzは、いい意味で利己的にオープンソースをやってると思うけど、おいらは、人のために役に立てると思うからオープンソースをやる。だってさ、自分のため(利己的)にオープンソースをやるのは、つらすぎるもの。

これに関して言えば、モッチーは正しく理解している。というか、ひがさん、エゴが小さすぎ。

「利他的」の反対は、「利己的」じゃないよ。

なぜ我々が「人のために役に立ちたい」と思うかと言えば、「人のために役にたった」という自己満足を得るためなんだから。Matzさんの「利己的」もそういう利己的。Matzさんと私の共通のロールモデルの一人、Larry Wallがまさにそう。

Perl, the first postmodern computer language
I have to be honest here. I'm with Linus--I personally want to take over the world. I want to take over the world because I'm an egomaniac. A nice sort of egomaniac, an egomaniac moderated by belief in the value of humility, but an egomaniac nonetheless.
[惰訳]ぶっちゃけ、私はLinusと同じで、世界を征服したい。利己的だから世界を征服したい。謙譲の美徳に裏打ちされた、いい意味での利己的ではあるのだけれど、利己的には違いない。

で、駱駝共和国を見ながら別の王国を打ち立てたのがMatzさん、宰相の一人になることを選んだのが私。どっちも「人のために役にたって」ないと自己満足できないほど利己的。で、それはひがさんも同じはず。

その意味で、オープンソースの参加者というのは、利他的というよりも、エゴが大きい人というのが正解。別にオープンソースに限った話ではないのだけど、オープンソースの場合、利用者から金が徴収できない分そのことがより鮮明になる。スマイルだけが、ぼくらの報酬なんだから。もっともMatzさんもひがさんも会社から給料が出ているけど、それはスマイルした人々の一部がお金を落としてくれるから、と解釈することも出来る。

一人でニコニコしててもさみしい?オープンソースに参加してみましょう!

Dan the Egomaniac Open Source Blogrammer

P.S. 「利己的」の反対は「自虐的」ではなかろうか。