ソフトバンククリエイティブ江頭様より献本御礼。
1Fのマッサージ椅子に向うがてら、本書を郵便受けから引き出したのが02:50ごろというのは偶然か。そのマッサージ椅子にて読了。
ケータイを子に持たせる親、必読。
本書「
- 1章:インターネットと常につながるケータイチルドレン
- 2章:音楽プレイヤーや雑誌、テレビはいらない「ケータイ集約主義」
- 3章:ケータイコミュニティーで始めるもう一つの人生
- 4章:ケータイとパソコンを使い分ける子どもたち
- 5章:事業者サイドが分析するケータイチルドレン
- 6章:ケータイの世界にひそむ危険性
- 7章:安易な「フィルタリング」が生み出す子ども文化の破壊
- 8章:ケータイチルドレンとの付き合い方
本書は、綿密な調査と豊富な資料を下に、親の懸念を解いていく。本書から見えてくるケータイ世代像は、「パソコンも使えない癖に通信料金を親に付け回し、付け回せなければ援助交際でそれをまかなうケータイ中毒者」というマスメディアのステレオタイプとは新逆の、「パソコンとケータイをきっちり使いこなし、通信料金も控えめな、節度を守ってケータイと付き合う」、むしろ大人が見習いたいほどしっかりした子どもたちだ。
本書のメッセージを一言でまとめると、「子供たちを信じてもOK」となる。むしろ親の無理解で理不尽な「ケータイ世代」への介入が、子供たちの現代だけではなく未来に邪魔になるとすら読める。
もっとも、親の無理解というのは今にはじまったことではない。あとがきで著者はこう述べる。
P. 202ケータイ世代への取材を通して、著者は「この十年間何も変わっていない」と感じた。それは、いい意味でも、悪い意味でも、だ。
若者が新しいツールを使いこなし、創造的な活動をする姿は、筆者が高校生のころのポケベルに似ている。児童買春やいじめなどの「犯罪」も、一向に減る気配がないが、大幅に増えているようにも感じられない。ケータイというツールを手に入れたため、大人が状況を理解しづらくなったが、若者の根本は何一つ変わっていないのだ。
同感。というよりs/十年/二十年/とさせていただこう。パソコン通信だってこれと同じ扱いを受けていたのだから。
ちなみに、私は長女には6歳(追記:未満だったそうです)の時からケータイを持たせている。はじめて彼女の祖母のところに一人で行った(といってもスタートポイントには彼女の母が、エンドポイントには彼女の祖母がいたのだが)際に持たせたのだが、9歳になった今では教えもしないのにメールも使うし写真を私のメールアドレスに送って来たりもする。私からすると、ケータイは親子断絶の理由どころか、親子理解の補助にすらなっている。
ラジオ、TV、電話、ポケベル、パソコン、そしてケータイ....こういった道具はたしかに我々の生活の進め方を変えた。しかし我々が生活というものに求めているものは、それ以上に変わっていないのではないか。そんなことを改めて思い起こした一冊だった。
ところで石野さん、ぐぐっても(PCでもケータイでも)本人ページが出てこないっての、何とかしましょう。紺屋の白袴すぎです。
Dan the Father of Two
上辺をつくろう程度に理解してるってのを、
ごっちゃに
議論してますね。
そんな状態で、
共通定義で
語れるかどうかは、疑問です。