第8回目の今回は、今までで最もつっこみどころの多い号だった。

セルフつっこみも含めて。

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学力大不安

で、今回の特集。本文はとにかく、煽り方に執筆者の学力の不安を感ぜずにはいられなかった。

st:
op:
CE/C
7 8 9 ÷
4 5 6 ×
1 2 3
0

まず、表紙にも出てくる加減と乗除のどちらを先にやるか(演算子の優先順位)問題。たとえば3+2×4=20とすることも学力低下の状況証拠として挙げられいるのだけど、これに対しては本blogもかつてつっこんでいる。

404 Blog Not Found:3+2×4=20 # 電卓では
実のところ、なぜ掛け算と割り算を足し算と引き算より先にやるのかというのは単なる約束事に過ぎない。そういう約束ごとにしたのは、その方が「多項式を扱う際に都合がいい」という理由なのだが、それを習うのは日本では中学になってからだ。

ちなみにうちの9歳の長女はちゃんと「11」と答えた。どこで教わったかは知らないが、理由も尋ねてみるとまっとうな答えが返って来た。仮に間違って覚えていたとしても、直すのはそんな難しいことじゃない。重要なのは、それをいつでも直せる環境だと思うが。

「筆記体が読めない大学生」を嘆く大学教授に至っては、是非合衆国の現状を見てもらいたいものだ。筆記体どころか、文字の書き方そのものがバラバラで、おかげで私は当時つきあっていたガールフレンドからもらったヴァレンタイン・カード(かの国では双方向)が読めず、彼女に読み上げてもらったぐらいだ。その彼女のGPAは、限りなく4.0に近かった。

タイミングよく、こんなニュースも。

asahi.com:中学校の英語 筆記体は日本独自のもの? - 教科SHOW - 小中学校 - 教育
この教科書の編集に携わった桜美林大の森住衛教授によると、英語圏で署名に使われていた一つの書体が、明治時代に手書き文字の主流として日本に定着した。その文字は英語圏で統一された書体ではなく、人や地域によって異なるという。

もっとも、記事本文はアオリほど浅薄ではない。ゆとり教育に関しても、仕掛人の寺脇研と「つめこめ派」の陰山英男と、双方の意見をそれぞれ2ページに渡ってのせている。こういう対立する意見を双方載せられるゆとり、そう、ゆとりが、雑誌というメディアが新聞よりも優れた点だと思う。

ここからは私見である。

「高校生のための文章読本」 pp.208
良い文章とは
  1. 自分にしか書けないことを
  2. だれが読んでもわかるように書いた文章

これを言い換えれば、以下のとおりとなる。

良い市民とは
  1. 自分にしか出来ないことを
  2. だれが見聞きしてもわかるよう成し遂げる市民

うち、1.に関しては教育、特に機関的(institutional)な教育というのは本当に無力だと思う。「自分にしか出来ないこと」は、当然教師にだって出来ない。それを見つけるのは、まさに自分しかいないのだ。

しかし、2.に関しては機関的教育は絶大な力を発揮する。読み書きそろばんというのは、つまるところ自身がやっていることが誰にでもわかるようにし、そして他者がやっていることが誰が見聞きしてもわかるようにするための仕組み、コミュニケーション能力なのだ。

機関的教育は、それに徹すればよいのではないか。そうすれば、「詰め込んで」もなおゆとりが生まれるのではないかと感じている。本号43ページの左肩のコラム、〈教育データの「読解力」〉によると、年間授業時間はOECD平均が839時間で、最長がイタリアの1023時間。日本は774時間で平均以下なのだが、フィンランドはさらに短い672時間。ゆとりと基礎学力の充実は両立するはずなのだある。

たとえば国語にしても、なぜ感想文のような「難しい題」を与えるのだろう。論文の方がずっと簡単なのに。劇があくまで部活というのももったいない。授業できちんとやるべきだ。日本では劇はあくまでお遊戯の一貫という感じが強いのだが、プレゼンテーションの演習として考えるべきだ。

Interviews

今回は第二特集はナシ。そのかわり猪瀬直樹がインタビューで 前号に反論している。シャープの片山社長のインタビューも必見。日本の社長としては若いが、むしろこれが「グローバルスタンダード」。社長というのは出世階段の頂点ではなく、従業員とは別の生き物であるという認識がようやく日本にも根付いて来たのだろうか。

Dan the Educat(or|ed)