またダンコーガイにお呼びがかかったみたいなので。

そろそろ発想力(笑)とか地頭力(笑)とかについて一言言っとくか - 裏になるもの
新卒採用において学生に求める能力であり、なんでも0から1を生み出す力のことらしい(これはあくまで番組中のある会社が言っている定義のようだけど)。

これ見て"?"だったのだけど、以下を見て"!"となった。

地頭力 | Okumura's Blog
今日のNHKクローズアップ現代は「富士山をどう動かしますか? 〜 “地頭力”(じあたまりょく) の時代〜」。就活中の学生(特に理系)が誤解しないように書いておくと,ゴジラを呼んできて動かしてもらうといった「ユニークな」答えを求められているのではなく,理系の思考ができるかどうかを問われているのである。
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地頭力を鍛える

問題解決に活かす「フェルミ推定」
細谷功

私は番組を見ていないので番組では「地頭力」の定義がどちらにあるのかわからないけれども、「フェルミ推定」「富士山をどう動かしますか」といったキーワードから判定する限りにおいては、奥村先生の「封筒裏の有効活用力」を番組における「地頭力」の定義として話を進める。

実のところ、それを「地頭力」と呼ぶのにはかなり抵抗がある。なぜなら、「頭力」には「問題を解く脳力」と「問題を作る脳力」の二つがあり、「地頭」というのはその双方の力のファンダメンタルズだとオレ定義していたからだ。

ところが、「地頭力を鍛える」にしろ、奥村先生が見た「クローズアップ現代」にしろ、地頭力を「問題を解く脳力」としか規定していない。この方が確かに「計測しやすい」のだけど、それゆえに、私はこちらの力は「石頭力」と呼んでいる。なぜなら、この力は頭を「その問題を解く」ことに固定しなければならないからだ。そこにおいては、たとえば「今更動かす必要はありません。なぜなら地球と一緒に富士山も動いてるのですから」という答案や、「御社が富士山を動かす必然性がどこにあるのかお答えください」といった逆質問は許されない。頭をかたくなな回答モードにせざるを得ないのだ。

ちなみに「石頭力」の石頭は、「石頭コンピュータ」からもらっている。確かにコンピュータは問題を解決する能力はあるが、問題を作る能力もましてや権利もない。それはプログラマーの仕事である。

「石頭力」といっても、私はそれをバカにするつもりは全くない。むしろ逆である。特に仕事において石頭力は重要だ。禅問答ばかりしていても禅僧にはなれるかもしれないが従業員にはなれない。「そもさん」「せっぱ」じゃ会社も研究所もまわらない。また、従業員に対して「そもさん」すべきではないし、従業員に「せっぱ」させる会社はせっぱつまるのは当然である。従業員の仕事は、あくまで会社が設定した問題を解くことにある。問題そのものを設定したかったら、会社そのものを作るべきなのだ。

目からうろこが何枚も落ちたオープンソースの“人間的本質”
私はまつもとに問うた。まつもとからは、私が一度も考えたことのない答えが返ってきた。
「ほとんどの人は、適切な大きさと複雑さを持ったいい問題を探しているんですよ」

梅田望夫的オープンソース定義のトンデモさはさておき、上司の部下に対する仕事というのは、部下に適切な大きさと複雑さを持ったいい問題を与えることにつきると私は考えている。上に行けば行くほど問題はより大きく複雑なのを、下でも扱える程度の大きさと複雑さに転化するのが上司の仕事、というわけである。

もちろん、その過程で別の「解くに値する質問」を従業員が見つけるのは構わないし、それを会社の仕事として「買い取る」のも構わない。しかしどの問題を得か決めるのは役員の仕事であって従業員の仕事ではないはずだ。「0を1に」とか言っている会社は重要な勘違いをしている。0を1にできる人を、言葉は悪いが足軽扱いするとは何様、である。

結論すると、会社というのは従業員に石頭以上のものを求めてはならない、ということである。しかし石頭だけでは従業員にはなれても友人にする気にはならない。さりとて「人頭力」=質問力ばかり発揮されては寺なり尼寺なりに言ってもらうしかない。

そのバランスがうまく保たれているのが、私にとっての「地頭力」なのである。その意味でいわゆる理系は、問題を解くのが楽しくて忙しくて、そもそもその問題設定そのものを後回しにする人が多いように見受けられる。だからこそ問題が解けるのであるが、だからこそ問題解決力を安値で買い叩かれるというのも哀しい事実なのではないか。

Dan the Head Blogger