講談社文芸部堀沢様より献本御礼。

What a kick-ass!

なんと痛快な一冊。

すべてのクソッタレは、目を通すべき。

すなわち、これを読んでいるあなたたち全員が、である。

本書「あなたの職場のイヤな奴」の原題は、"The No Asshole Rule"。たしかに"asshole"には「イヤな奴」という意味があるが、これは「うんこ」を「おつうじ」と言うほどおとなしい言い方で、やはり「クソッタレ」と言うのが相応しい。よって原題を直訳すると「クソッタレ撲滅ルール」となる。私なら「クソッタレ撲滅論」としたと思う。なぜこんなおとなしい邦題にしてしまったのだろうか。

目次 - クソッタレなことに手入力
はじめに
第1章 どんなやつをクソッタレと呼ぶか?
第2章 被害に苦しむ人々
第3章 クソッタレ撲滅ルールを導入するには
第4章 あなたの中にもクソッタレはいる
第5章 イヤな奴だらけの職場をサバイバルするには
第6章 クソッタレ成功者たちの教訓
第7章 生き方としてのクソッタレ撲滅ルール
親愛なる読者のみなさんへ
訳者あとがき

ただし、おとなしいのは邦訳まで。目次を見てわかるとおり、本書ではきちんと"asshole"を「クソッタレ」と訳してある。本書には、ほとんどにページにこの「クソッタレ」という言葉が登場する。一ページ平均四回とすると、なんと1000回を超す計算になる。テキストファイルの原稿があったら、ぜひperl -nle 's/asshole/$asshole++/gei;END{print "$asshole assholes\n"}' してみたいものだ。本書に登場する単語の中では、圧倒的な最頻語である。

天下のスタンフォードの教授(わざわざ表紙にも"Robert I. Sutton, Ph.D"とある。本書のノリだとFuckin' Ph.D!と言ってしまいそうだ)が、これほどクソマジメにクソッタレを濫発した理由は、一体なんだろうか。

彼らが、確かにクソッタレと呼ぶに相応しい存在であり、そして彼らに対する対処が職場においてクソ重要であるからだ。

その彼らとは一体誰だろうか。"asshole"にしろ「クソッタレ」にしろ、あまりに広い意味で使われる言葉ではあるが、著者はまず本書におけるクソッタレをクソマジメかつクソ簡潔に定義している。

P. 25
  • 基準1/クソッタレと目されている人物と会話をかわしたあとで、"標的"となった人物が憂鬱になったり、屈辱を感じたり、やる気を失ったりするかとくに重要なのは、標的となった人物が卑屈になるかどうかである。
  • 基準2/クソッタレと目されている人物が悪意を向ける大将が、自分より力の弱い者であるか?

ひと言でまとめると、「パワハラの加害者」ということになる。本書における「クソッタレ」は、徹頭徹尾この定義から外れることがない。しかし「パワハラの加害者」には、「クソッタレ」という言葉の持つクソ力は存在しない。著者の第一の功績は、「パワハラの加害者」を「クソッタレ」と言い切ったことにある。

しかし本書がクソッタレどもにクソッタレと言い返しただけの本でないのは、著者がきわめて自省的であることからも明らかだ。後に紹介する「七つの教訓」の最後かつ最重要である「クソッタレとは、わたしたち自身のことである」(原文はおそらく"Assholes are us")は、この定義のすぐ後に「だれでもときにはクソッタレになる」という項題にはじまり、本書で繰り返し指摘される。

それゆえに、「クソッタレ」を撲滅してしまったら人類滅亡ということにもなりかねないが、本書が撲滅の対象とする「クソッタレ」を、著者は「鑑定書付きのクソッタレ」とした上で、それを以下のとおり限定している。

P. 25
  • 基準1/その人物がつねに他人を貶め、やるきを喪失させる人間かどうか?
  • 基準2/その人物がつねに自分より力の弱い(もしくは社会的地位の低い)相手を標的にしているかどうか?

たしかにこれは、鑑定書を発行するのに必要にして充分な定義である。余談だが、ネットイナゴ諸君にとってはありがたいことに諸君らには鑑定書は発行されない。基準2を満たさないからだ。ただし、職場において君たちが同様のふるまいをしているのだとしたら、鑑定書は即座に発行され、諸君らはただちに撲滅の対象となる。

本書は、そんな鑑定書付きのクソッタレたちの傾向と対策である。かれらがどれほど職場の生産性を損ね、社会に被害を与えるかを述べた上で、その対策を講じたのが本書なのである。

本書がフェアなのは、クソッタレの負の側面のみならず正の側面まで、きちんと一章を割いて論じていることだ。そのサンプルとして選ばれた人物は、スティーヴ・ジョブス。懸命な読者はお見通しだったかも知れない。

そして著者は、最終章において、クソッタレに対抗するための七つの教訓を導き出す。ここで引用するのはネタバレ的で少し気が引けるのだが、本書は「全米大ベストセラー」であり(クソコピーだがよく利く)、著者の願いは本書を一冊でも多く読ませることよりもクソッタレを撲滅することにあるはずなので、ここでも繰り返しておく。

  1. 良識ある人たちによって生み出された温かい感情の和も、たった一握りのクソッタレのせいでブチ壊されてしまう
  2. クソッタレ撲滅ルールの大切さを人に説くのもいいだろう。しかし、ほんとうに重要なのは、それを実行することである。
  3. ルールを生かすも殺すも、当人の意思次第である。
  4. クソッタレが役に立つこともある。
  5. クソッタレ撲滅ルールの実施は、管理職だけの仕事ではない。
  6. クソッタレに恥をかかせろ。
  7. クソッタレとは、わたしたち自身のことである。

本書に「クソッタレから逃げろ」という対処法が出てこなかったのが不思議であったが、それは本書の欠点というにはあまりにささいなものであろう。なぜなら本書が指摘するとおり、自分自身を含めこの世はクソッタレだらけであり、いつまでも逃げているのは不可能で、いつかはクソッタレ撲滅を実行に移すか、さもなくば自らも鑑定書付きのクソッタレとなるかのどちらかなのだから。

鑑定書付きのクソッタレには治療薬として、クソッタレの被害者には予防薬して、本書の薬効はあらたかである。クソッタレ本であるが、クソ本ではなくスゴ本である。使用上の注意を守って正しくご利用のほどを。

Dan the One of 6.6 Billion Assholes