見極め、というより見積もり、かな。

「自分を飛躍的に成長させる状況」と「自分が潰されてしまう状況」の見分け方 - 分裂勘違い君劇場
「今が、戦うべき時なのか、逃げるべき時なのか」
この見極めができるかどうかで、
人生のかなりの部分が決まってしまいます。

見「極め」というのは事実上不可能。それは未来を読み切るということなので。

だけど、見「積もり」なら可能。外れることもあるけど、外れの度合いが許容範囲内に収まっていれば大丈夫。どうやって見積もるかはさておき、見積もりが出来たとしたら、逃走すべきか闘争すべきかの判断はもう終ったも同然。

利益が出れば、闘争。利益が出なければ、逃走。

これでOK。

どうやって利益を見積もるかは、「利益の方程式」でも読んでもらうことにして、実は権限があるかないか、というのは二義的。権限もまた見積もりの一要素にすぎないのだから。

このあたりの感覚は、自営していると体が覚えてくれるのだけど、サラリーで動いていると、なかなか身につきにくい。時間や労力といった投下資本量はわかるのだけど、それによっていくら上がったかという収益がわかりづらい。いきおい「こんなに残業したんだからちゃんと払え」となってしまいがちだ。で、「ない袖はふれない」と言われてシュン、となると。

実は労働基準法に則って仕事をすると、あることに気がつく。

労働者は、利益を考えることから免除されている。

会社が傾こうが潰れようが、会社は確約した賃金を支払わなければならない。売上げは確約できないのに賃金は確約しなければならない。だから会社はなるべく少なく確約しようとする。従業員は少なく、給与は少なく。

しかし、これは従業員と会社が対立している場合の構図だ。伸びる会社というのは従業員の利益と会社の利益が合致している。こういった場合は、本当はもっと大きく確約した方がいい。従業員も多く、給与も多く。しかし、労働基準法はリスクを従業員に共有してもらうことを事実上禁じている。

ホワイトカラーエクゼンプションというのは、本来はこれを打破するための制度だったが、潰えたのはご存じのとおり。潰えるのも当然。なぜなら従業員のほとんどは「見積もり」力もなければ、見積もる訓練も受けていないのだから。

それでは、従業員には成長の機会はないのか。独立しないとリスクは取れないのか、といったら、それは違う。むしろ株式会社の資本と同じく、リスクを取っても有限責任で済む、ぐらいに考えればいい。たかだか数百万の給料で、時には数百億の取引に携わったりできるのも、会社がリスクを負担してくれるからだ。その代わりリターンは会社に捧げなければならない。

給料が安い、と考えるのではなく、リスクを会社負担してもらっていると考えればいいのだ。

「伝説の社員」とは、「社員の分際」で、リスクをとって仕事をしている人々のことである。給料は安いが負けても会社持ち。その間にリスクとの付き合い方をぞんぶんに学べば良い。

そうして、充分リスクに対する蓄えと、リスクを見積もる力を得てから、独立すればいい。

だから私は正直「Amazon学校」に「通えた」土井さんをはじめとする伝説の社員が結構うらやましい。私の場合のっけから自営で、会社というリスクバッファーがなかったので、それで逃した仕事も少なくなかった。

いずれにせよ、見積さえ出来れば闘争と逃走の選択は簡単だ。

利益が出れば、攻めろ。利益が出なければ、逃げろ。

そんだけ。

Dan the Survivor