数学的にも経済学的にも公平なこの分配法を我々が不公平だと思う理由はなんだろうか?
ビールを公平に分ける方法 - hiroyukikojimaの日記経済学だと、次のような分け方が平然と「公平」だとして与えられる。つまり、完全に均整のとれたコインを投げて、表が出たらAさんが、裏が出たらBさんがピッチャーのビールを全部飲んでしまうのだ。
それが、わかった。
なんだ、簡単なことじゃないか!
我々が確率論的公平を公平とみなさない理由、それは未来が不確定で、我々の寿命が有限だからではないのか。
たとえば、この問題を「ピッチャー一杯をどう分けるか」ではなく、「ピッチャー二杯が前後して来る場合、どちらが先に飲むか」と変形すれば、コイントス方式は単に確率論的のみならず、実際の分配量においても公平となる。しかし、その場合においても両者がビールにありつくのに時間差がある場合、不公平感は解消しきらないのではないか。
pさんとnさんがコイントスの結果、まずpさんがビールにありついたとする。nさんはビールを待つが、nさんがビールにありつける確率は本当にpさんと同じなのだろうか。実際のシナリオにおきかえて考えてみよう。nさんがビールにありつける確率は、pさんより低くなるはずだ。例えばビールが品切れになってしまうかも知れない。nさんが注文する前に閉店してしまうかも知れない。nさんがビールを待つ間に死んでしまう確率だってゼロとは言えない。
これを踏まえて、行動経済学の以下の知見を考察してみると、長年の疑問が氷解する。
経済は感情で動く P. 101すでに見たように、選択肢が得する額で示されると、確実な方を選ぶ。反対に損する額で提示されると、確実な損失より、損失が大きいかゼロかの確率に賭ける。
未来が不確実なら、利得は今得た方がよい。今得ておかないと、未来にはなくなっているのかも知れないのだから。そして損失は先延ばしした方がよい。その損失は未来にはなくなっているのかも知れないのだから。
そして未来の不確実性は、1分後より1時間後、1時間後よりも1日後の方が大きい以上、損得の確定が未来であれば未来であるほど、こうした傾向は大きくなるはずだ。
利息というのは、それを補正するために発明されたと言ってもいいかもしれない。後でビールを得るものは、「ビールが飲めないかもしれない」分上乗せしてもらうというわけだ。
未来は不確定で、我々の寿命は有限。
このことは、「無羨望(envy-freeness)」にも影響を与えるだろう。
ビールを公平に分ける方法 - hiroyukikojimaの日記今、酒にあまり強くないAさんが先に好きなだけビールを飲む。そして例えば、ピッチャーの4分の1ほどを飲んだとしよう。そのあとBさんが残る4分の3を飲むのである。このとき、ヴァリアンのいう「無羨望条件」が満たされることになる。
この場合において、Aさんが本当に酒に強くないかをBさんはどう知ったらよいのだろう。AさんとBさんがすでに互いの酒の強さを知っていればよいが、そうでない場合、BさんはAさんがどれだけ飲んでしまうかを知らないというリスクを背負う。Aさんはもしかし酒に強くないふりをしているだけかも知れない。Aさんが満足行く酒の量はピッチャーの半分を越えているかも知れない。いずれにせよ、後で手に入れるものほど、リスクは大きくなる。
未来が不確定で、我々の寿命が有限という条件を課すだけで、我々の行動は自然と「古典経済的」ではなく「行動経済的」になるのではないか。
なんか、すっきりした。これで眠れる。
Dan the Economic Mortal
自分の死を含む未来の不確実性の存在から通常の割引ないし時間選好は導き出されると思いますが、なぜそれが行動経済学の唱える双曲割引になるかは少なくとも「自然」には出てこないのでは・・・。