ありがたいことに、「『異教徒』の信仰を全面否定」のに、数の暴力も圧倒的権力も必要ありません。

「人間の少女には心がある」のと同じ意味で「二次元のアニメ美少女にも心がある」かもしれないよ - 分裂勘違い君劇場
だから、われわれは数の暴力と圧倒的な権力によって、少数派の「異教徒」の信仰を全面否定し、われわれの「信仰」を唯一の絶対正義として少数派に押しつけることができます。

拙著が一冊あれば事足ります。

まさかこんなところで自著の宣伝ができるとは!

「小飼弾のアルファギークに逢ってきた」をお持ちの方は、P. 173を開いて下さい。まだ持っていない方は、→から入手を:-)

P. 173

DANKOGAI:でも、そこまでオープンになると、もう自我も意味なしにならない? 私が今話しているのはIngy? それとも私がIngyだと感じている妄想?

INGY:ちょっとおしっこ行ってくる。おれがおしっこ行きたくなったことまで妄想してくれた?

全員:(爆笑)

もしINGYが私の脳内キャラだったら、こういうことはおきないはずです。

これこそが、ニジゲンとサンジゲンの違い、すなわちフィクションとノンフィクションの違いです。

フィクションであれば、「こんな時にどうする」という回答は、すべて作品に書いてあります。これはシークェンシャルな物語の場合もインタラクティブなRPGの場合にも変わりません。さらにそこから脳内で妄想した人物の場合もそうです。あなたは脳内彼/女があなたの問いかけに対して何と答えるかを知っています。

しかし、脳外の人物は違います。

それは、ある程度の予測は出来ます。つきあいが長くなれば長くなるほど予測制度は上がります。しかし完全に予測することは出来ません。私は妻や娘達がいつトイレに行くのか全くわかりません。この記事を読んだあなたがどんな感想を抱くかもわかりません。

あなたも、本記事の次に私が何を書くかを知らないはずです。

既知の人物が、未知、というより不可知の行動を取る。

脳内と脳外は、それで区別がついてしまいます。

多数決を取るまでもないのです。

Dan the Existentialist

追記:このことから、人権を与えるに値する人工知性体の成立要件を導くことが出来ます。その人工知性体には、その知性体しか理解していない「プログラム」か、その知性体しか知らない「データ」のどちらか、または双方が必要ということになります。プログラムもデータも完全に公開されている場合、その知性体の反応というのは完全に予測可能。Star Trek (TNGその他)に登場する Holo Deck と、それを実現している船のコンピューターに人権がなく、Lt. Cmd Data に人権があるのにも理由があるわけです。

これをさらに押し進めると、人権にはプライヴァシーが不可欠、ということにもなるでしょうか。