本書は、恐竜本ではない。「教竜オタク」を実例に展開されるオタク論である。
「オタクはすでに死んでいる」の読者、必読。
あとがきによると、「知られざる日本の恐竜文化」の仮タイトルは「恐竜ビジネス」というものだったそうだ。そのこともあって、本書では古生物学と宇宙開発においては日本のサイエンスライターを代表する著者が、趣味としてのサイエンスではなくビジネスとしてのサイエンス、それもテクノロジーに直結する「儲かるサイエンス」ではなく、趣味の極北としての「好きなサイエンス」とビジネスの関係を書いた希有な一冊に仕上がっている。
目次 - BOOKデータベースより- 第1章 経済的側面から見た恐竜文化
- 第2章 恐竜ブームの虚像と実像
- 第3章 恐竜学はオタクの科学
- 第4章 日本の恐竜文化は、今
- 第5章 恐竜学はどこへいく
著者の文章には、ティーンエイジャーの頃からずいぶんとお世話になった。本書にも登場する「恐竜学最前線」の創刊号は、実家再建がまだ終っていない中、庭に立てたプレハブ小屋でむさぼるように読んだ。ネットワークエンジニアとしての仕事が楽しく忙しくなってから、しばらく離れていたけれど、最近また「金子熱」がぶり返して、こないだも「哺乳類型爬虫類」を読んでうっとりしていたところだ。
そんな著者によるオタクの定義は、以下のとおりである。
P. 108文脈からしておわかりのこととは思うが、もちろん本書においては、オタクという言葉は蔑称ではない。単なる受動的ファンから、恐竜学の世界へより能動的に踏み込んでいった人々のことを指す敬称と思っていただければありがたい。
私のオタクの定義も、こちらである。
本書を読んで気がつくのは、ある分野の能動的オタクは、別の分野の受動的オタクでもあるという点だ。本書においては、それは恐竜学能動的オタクは、アニメ/特撮受動的オタクを兼ねている場合が多いということになる。
P. 73
カナダのロイヤル・ティレル博物館のドナルド・ブリンクマン博士は、モンゴルの白亜紀前期の地層から発見された化石に、シネミス・ガメラ Synemys gamera と学名をつけた。言うまでもなく、ガメラというのはあのガメラである。それも、この名前が公式に発表されたのは一九九三年で、日本の怪獣ファンに熱狂的に支持された平成ガメラ・シリーズ第一作、一九九五年の「ガメラ 大怪獣空中決戦」(金子修介監督/樋口真嗣特技監督/伊藤和典脚本)より二年早い。
本書には、こんな話がぎっしり詰まっている。私は本書を通して拙著「小飼弾のアルファギークに逢ってきた」を追体験したような錯覚にとらわれた。
そんな著者が語るオタク論は、凍ってしまうほど冷たく醒めた元オタキングのオタク論に対し、やけどしそうなほど熱い。どちらが真実か、ということではなく、どちらも真実の一断面ではあるのだろう。
ただし、私としては心情的には著者の方に近い。というより、この「熱」があるか否かが、ある分野においてその人がオタクであるか否かを測るための指標なのだろう。そして、ある分野に「熱」があれば、それに隣接する分野における「熱」も感じ取れるというのが著者の主張でもあり、それを裏返したのが「オタクはすでに死んでいる」という主張なのではないだろうか。
Dan the (Otaku|Geek)
ここでの「オタク」は、岡田さんの言うところの「強いオタク」が近いような。