統合失調症との絡みはさておき、大意には同感。
被害者の呪い (内田樹の研究室)「被害者意識」というマインドが含有している有毒性に人々は警戒心がなさすぎるように思える。
自らを被害者と規定し、加害者に対して賠償を求める被害者メソッド--というより賠償モデル--が機能するためには、以下の条件が満たされる必要がある。
- 加害者を特定できること
- 加害者が加害者であることを認めさせること
- 加害者に賠償能力があること
この順番に、全ての条件が満たされて、はじめて被害者は賠償を得ることができる。が、これらの条件を揃えるのはなかなか難しい。
加害者を特定できない場合
たとえば、天災。誰かに殺されても、台風で死んでもどちらも同じ死であるが、前者には人間の加害者が存在するのに対し、後者には存在しない。もちろんこういう場合でも「未必的故意」を設定することで政府なり「被害者」がいた場所の管理者なりを加害者と認定することは不可能ではないが、とにもかくにも被害者メソッドはまず加害者を特定しないことには何も始まらない。
加害者が加害者であることを認めさせられない場合
加害者を特定できたとして、今度はその加害者が加害者であることを認めさせなくてはならないが、これまた難しい。加害者がすんなり「罪」を認めるケースというのは、被害も大したことない場合ばかりだ。被害が深刻であればあるほど、加害者が逃亡したり開き直ったりしやすくなる。そのため、被害者メソッドを機能させるためには、加害者よりもずっと強大な「調停者」を必要とする場合が多い。多くの場合、これは政府の役割となるが、なぜ政府がやっているかといえば政府が公正だからというよりも、加害者をねじ伏せるだけの圧倒的な力を有するのが政府だからだという理由の法が大きい。
それゆえ、加害者が政府の場合、被害者メソッドがここで立ち往生してしまう場合がほとんどであることはご存じのとおり。
加害者に賠償能力がない場合
こうして加害者を特定し、加害者に加害を認めさせても、最後に加害者の財産が足りるのかという問題が立ちふさがる。
哀しいかな、害をなすのは益をなすよりずっと簡単だ。何十万円もするパソコンを壊すには水をかければ充分だ。何百万円もする車を壊すには、ハンドルをちょっと切り損ねればよい。何千万円もする家屋もマッチ一本で灰にすることが出来る。
一言で言うと、賠償能力を越えた被害をもたらすのはあまりに簡単だということだ。
乱暴にまとめると
被害者メソッドがうまくいくためには、力のある加害者と、それ以上に力がある調停者の存在が欠かせないということになる。加害者は金持ちであれば金持ちであるほどよいし、調停者の権力は強ければ強いほどよい。身も蓋もない言い方をすると、弱者が最強者を使って強者からむしり取るというのが被害者メソッドの要諦ということになる。
「だから泣き寝入りしろ」とか「だから諦めろ」というつもりはない。賠償モデルは賠償額が小さく、調停者が充分大きい場合には機能する。機能してきたからこそ世の中が平和になったというのも事実だろう。私自身、被害者メソッドで救済が得られる場合は遠慮なくそうするつもりだ。
しかし結局のところ、被害者メソッドでは加害者が持っている以上のものを得ることはできない。被害者メソッドの正否は、被害者がどれだけがんばったか、ではなく加害者がどれだけ持っていて、どれだけ簡単に加害を認めるかで決まってしまうのだ。結局のところ他力本願なのだ。
自らを被害者と規定する前に、加害者を特定し認知させ賠償させる手間暇、すなわちコストに本当に見合うのか考えてみるべきなのではないか。特にこのメソッドは時間を食うので、その見積は念入りにしておく必要がありそうだ。
Dan the Victim(izer)
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