
いよいよYAPC::Asia::2008は本日。
遅刻するわけにも行かないので手短かに。
2008-05-14 - 未来のいつか/hyoshiokの日記10年間OSSになんらかの形でかかわってきて、自分なりにOSSというものの本質を理解したつもりだったが、ふと考えてみると本当に自分はその本質を理解していたのだろうか、その本質に少しでも近づいたのだろうか不安になる。
私は、OSSの本質を理解しているか? No.
私は、それが不安か? No.
私は、OSSを「やって」いるか? Yes.
最近やっとわかったのは、大事なこととつきあうにあたって、本質よりも「本質的」なことがあるのだということ。
それは、「やる」ことそのもの。
私は、生命の本質を理解していない。
セックスの本質も理解していない。
しかし、私は生きているしセックスしているしこれからも生きていたいしセックスしつづけて行きたい。
私はなんで毎年10日間にわたって家を「ホテル」にして、海外のオープンソースプログラマーたちに無料で解放して、そのためにウン十万も出費しているのか「理解」していない。しかし私にはそれが可能だし、それが好きだし、それで「納得」している。
それに付き合わされている妻は、コードを書くわけでもないのでもっと「理解」していないのは明らかだが、きちんと「納得」してくれた上で我々の面倒を見てくれている。
妻はOSSを「理解」していない。しかし「納得」してくれている。
私に必要だったのは、妻の「理解」ではなく「納得」だったということを、今は納得かつ理解している。
そもそも、OSS以前にソフトウェアの本質ですら、我々は理解しているとは言いがたい。
Amazon.co.jp: 小飼弾のアルファギークに逢ってきた [WEB+DB PRESS plus] (WEB+DB PRESSプラスシリーズ): 小飼 弾: 本弾:ソフトウェアエンジニアとしてもっとも重要なのはなんでしょうか。何をもってソフトウェアエンジニアというのでしょう。
Dave:ソフトウェアエンジニアというものはありません。少なくともまだないです。どういうことかというと、これ以上削れないところまで削るのがエンジニアリング。これ以上削れないところまで削るということは、どこまで削るとそれが壊れてしまうかというのがわかっていることです。まだソフトウェアに関しては我々はそのレベルには達してないんです。達してないから、まだソフトウェアエンジニアという言葉というのは嘘である。
弾:じゃあ、我々がやっていることは何て呼んだらいいんでしょう。
Dave:コーディング。
おそらくソフトウェアを書く行為だけではなく、経営という行為もまた、実のところ誰も本質を知らないのだろう。もし本質を知っているのであれば、その本質をコードとして抽出し、コンピューターにやらせることだって可能なように思えるが、ご存じのとおりそうなっていない。
もしかして、本質がまだわかっていないというのは、我々にとって幸いなことではないのか?
なぜ、OSSを「やり」つづけるのか。
それがわからないから、かも知れない。
2008-05-14 - 未来のいつか/hyoshiokの日記権力を持ったおじいさんたちに理解してもらう言葉をどうすればわたしは発見できるのだろう。皆さんの力を貸してほしい。
彼らにOSSの本質を理解してもらう必要はない。そんなの、我々だってわかってないんだから。権力を持ったおじいさんたちが、権力の本質を実のところ理解していないように。
しかし、「なぜかは分からないけど、それを切実に必要としている」姿は見せることができるし、それを切実に必要としていることは納得させることが出来るはずだ。
やること。やりつづけること。やり続ける姿を見せ続けること。
本質を抽出してそれを「理解」してもらうより、こちらの方が実は「納得」してもらえるのではないか。
Dan the Open Source Coder for Life
OSSについて説明すれば、理解せずとも納得出来る、という程度の人が権力を握る方がいい。支配的階層については、自然淘汰の仕組みを温存する方がかえって国民の福祉に寄与する。
貧困層を自然淘汰に晒そう、というアイデアは、(ここ数年実践されて来たけれど)まったく似て非なるもので、国民の福祉に反する。