これに関する批判は以前

でも行ったのだが、

中絶とナチスのホロコーストってどこがちがうの?前編 - FIFTH EDITION
つまり、彼女達は、自分の子どもが犯罪者になってしまいそうな状況で、中絶という選択肢がある場合には、中絶を選ぶことが多いのだ。日本でもアメリカでも。

新資料も交えて改めて行っておきたい。

まずは、以下のグラフをご覧頂きたい。

abortion-japan-1949-2005

これは、「一般人口統計−『人口統計資料集(2007年版)』−」にある「人工妊娠中絶数および不妊手術数:1949〜2005年」をグラフ化したものだ。左(赤)が実数、右(青)が対出生比である。実数は1955年をピークにほぼ一貫して下がり続け、対出生比は1957年をピークに30%代まで一挙に下がった後、横ばいながら2005年には戦後最低レベルになったというのが全体の流れだが、対出生比の方には実に興味深い異常が一カ所見られる。

そう。1966年、ひのえうまの年だ。

中絶とナチスのホロコーストってどこがちがうの?前編 - FIFTH EDITION
その結果、日本の女性達は、正しく産んでよい子どもとそうでない子どもを、見もふたもないが「選別」できた。

もしこれが本当だとしたら、ひのえうまの年には犯罪者候補の受精卵がいっせいに出来、女性たちはそれを未然に防いだということになってしまうが本当だろうか。

むしろ、女性の判断基準というのは移ろいやすいもので、ちょっとした迷信にも降りまわされてしまう姿が見えてこないだろうか。ここから見える女性像は、「かしこい」よりも「あわれ」である。

私は、首尾一貫して中絶の全権は女性にあると主張してきた。

404 Blog Not Found:中絶より完全なもの
そして一般論としてはもう一つ、「男は妊娠しない」という事実がある。この事実がある以上、男が対当たりえるのは避妊までで、中絶するか出産するかという選択に対しては当事者とはなりえない。当事者となりえない以上、意見は言えても決定権はない。「中絶なんて許せねえ!」という資格を、そもそも男は持たないのである。この事に関しては、法律を定める権利すら男にはないと私は思っている。彼女が堕ろすと決めたら、彼に許された選択肢はせいぜいその費用を負担するぐらいしかない。そして彼女が産むと決めたら、父親になるかあるいは養育費を払って去るかしかない。どちらも出来ないという男には、それ以前にセックスする資格がない。

この恥ずべきグラフを見た後もそれは変わらない。

しかし、私が「中絶権」は女性にあると主張しているのは、「女性がfreakonomic animalだから」という主張を取らない。「妊娠できるのは女性だから」という単純かつ厳然たる事実以上の理由はないのだ。「女性は将来の犯罪者候補を子宮で判断できる」などというありもしないチョー能力をあたかも経済学的に証明されたかのごとき語るのは、それこそニセ科学ではないのか。

確かに、中絶しろという資格は本人以外の誰にも存在しないし、中絶するなという資格は男には存在しない。しかし、女性がごくわずかな不安で中絶に限らず出産を意識的無意識的に諦めてしまうというのはほぼ事実であり、それに対して社会が出来ることは少なくないはずなのである。

Dan the Man