高橋@nikkeibp様、お待たせしました。

への返事です。

だが「バグのないシステムはない」という常識を経営者や利用者に理解してもらうのはなかなか難しい。ある企業の情報システム責任者がこんな話をしてくれたことがあった。

これは、谷島記者の元記事が経営者や利用者に向けて書かれたものであると理解してよいのだろうか。だとしたら、以下はずいぶんと失礼な言い草に聞こえる。

「システム開発が終盤を迎え,テストに明け暮れる日々になると,見つかるバグの数が段々減っていきます。その推移を示すグラフを作って,経営会議に提出し,ここまで減ってきているので予定通りの期日に新システムを動かします,と報告しますよね。ところが何人か,納得しない役員が出てくるのです。彼らはグラフの線が一番下につくまで,つまりバグがゼロになるまでテストしろ,と主張する。困ってしまいます」。
こうした役員に,ソフトウエアの複雑性とか,品質とコストと期間のトレードオフ,といった話をしても無駄である。ソフトウエアの特殊性を説明すればするほど,言い訳と受け取られる。「仰る通りにすると期日に間に合いませんが」と言うと「そこを何とかするのが君の仕事だ」と切り返される。分からず屋に対し,システム責任者は大抵の場合,説得を諦め,その場で「分かりました」とひとまず答えてしまう。そしてテスト工数を多少増やしたりはするが,バグがゼロにならない状態で予定通りの期日にシステムを動かす。うまくいけばそれでよし,トラブルが起きた場合は,分らず屋のところに飛んでいって頭を下げる。
分からず屋が消えてしまえば,システム責任者や現場の苦労はかなり減るだろうが,そういう状態にはまずならない。分からない人に分かってもらうための空しい努力をシステム責任者やエンジニア,そして筆者のようなIT担当記者は続ける必要がある。言い方も相当工夫しなければならない。これまで色々書いてみた経験から言うと「バグの無いソフトは無い」という説明では駄目である。

ひと言で言うと、「読者は分からず屋」ということだろうか?

「分からない人に分かってもらうための空しい努力」を避けるのは、現場はOKでも、記者としてはNGではないか。「分かってない人に分かってもらう」記事が書けないのであれば、何のための記者か。

だいたいプログラマーならずとも、定期刊行物に記事を書くというのは、品質とコストと期間のトレードオフの格好の例ではないか。記事の誤記、執筆者の不慮の事故。それでも締め切りは動かない。定期刊行物の制作というのは、そういう事態にどう対処するかのノウハウの固まりではないのか。それであれば、自らの言葉でそれを語ればよいのではないか。

それとも、谷島記者は、「分らず屋のところに飛んでいって頭を下げた」経験しかお持ちでないのだろうか。

あと、「そこを何とかするのが君の仕事だ」というのは、「上流」から「下流」に対する一方的な言葉ではない。「業績を何とかするのが君の仕事だ」という市場の声に対して、日本のIT業界の経営者は何をしてきたのだろうか。

学生とIT業界トップの公開対談で胸を衝かれたこと---IT産業を呪縛する“変われない日本”:ITpro
昔,「行き詰ったプロジェクトを立て直す」というテーマで取材したときに,ある大手システム・インテグレータで聞いた話だ。そのインテグレータで,火を噴いたあるプロジェクトをどうリカバリしたかというと,「外注先にものすごく生産性の高いプログラマがひとりいて,そいつをカンヅメにして,わんこそばのように仕様書を次々と渡して一気に作らせた」のだという。それほど優秀なプログラマも,大手インテグレータにスカウトされたりはしなかった。大手の社員になるか下請けになるかは,新卒入社時に決まる身分制度のようなものだからだ。

その身分制度を放置した責任の大半は、確かに「分からず屋」たちにあるだろう。しかし彼らをまかりとおらせたのは、実は「分かりました」とひとまず答えてきた現場監督たちであり、その現場監督に対する異議申し立てをしてこなかった現場担当者たちであり、そして低品質高コストの製品に対して文句を言わなかった顧客たちではないのか?

しかし、こうした上意下達、上の無理は泣き寝入りという状況も、昨今やっと変わりつつあるようだ。

SI業界の老害が若手と下請けを蝕む理由 - ひがやすを blog
一方、プログラミングが高度になったことにより、プログラミングを知らずに上流工程はできなくなってしまったのです。

という現実が、ようやく一般にも認知されだしてきたからだ。

記者の中にも、この現実に敏感に反応している者が出てきている。

IT分野の記者はレベルが低すぎる:ITpro
私は以前,あるソフトウエア開発者に「なぜそんなにたくさんの勉強会に参加しているのか,理由を教えてほしい」と言われ,ライトニングトークス(10人程度の発表者が5分間の短いプレゼンテーションを競うもの)で発表したことがある(発表資料)。「自身の知識が足りないのを補う意味もあるが,それ以上に,尊敬する開発者の『人を信じる力』に惹かれるものがある」といった内容だったと思う(関連記事)。

裏を返せば、IT分野の記者たちもまた、プログラムを知らずしてプログラムを語るという、「SI業界の老害」たちと同じ轍を踏んできたということではないのだろうか。

最近科学の分野では、サイエンス・ライターという職が登場した。欧米ではかなり昔からあるのだが、二本でも科学者としての訓練も、ジャーナリストとしての訓練も双方受けた人の必要性がやっとある程度理解されてきたようで、そうしたサイエンス・ライターの手による「iPS細胞 ヒトはどこまで再生できるか?」は出色の出来だった。

それと同様のITライターの必要性もそろそろ出てきたのではないだろうか。「404 Blog Not Found:新カテゴリ - ニセ情報科学」で取り上げた「ウイルスを受信した瞬間に「無力化」するソフト、リアルクリエイトが3月から販売開始:ITpro」のような記事でこれ以上失笑を買わぬためにも。

SI業界の老害が若手と下請けを蝕む理由 - ひがやすを blog
うちの会社もかつては、プログラミングをあまり重要視していませんでしたが、今はその逆です。特に若手にはプログラミングをきっちり身に着けて欲しいと思っています。今年から、研修期間も半年とるようにしました。これは、現場でのOJTを除く期間です。上流工程だけやればいいと考えている新人が毎年いるので、そういう人たちにプログラミングの大切さを伝えることも心がけています。

半年あれば、プログラミングの基礎はかなりきちんと学ぶことが出来る。勉強会に出まくるのもいいけれど、基礎を抑えた方がその後の応用も早いのは、ITもまた例外ではない。半年は無理でも、ジャーナリスト用の研修カリキュラムぐらいはあってしかるべきだ。機会があれば、私も是非手伝わせていただく。

Dan the Engineer