で、雇用流動制を導入したら、雇用流動性というのは増すのだろうか。
解雇規制がなくなり、雇用流動性が増すとどうなるのか - Zopeジャンキー日記ちなみに、解雇規制がなくなって雇用流動性が増すと、ダメな会社からは人材がことごとく流出する。これによって、会社がつぶれたり、経営者がクビになるので、ダメな経営者も淘汰される。
弾言する。「者」の流動性が、「物」の流動性ほど上がることはありえない、と。
なぜか。
物は文句を言わないが、者は文句を言えるからだ。
ここに年収500万の社員がいたとしよう。そこに年収1000万を要求する求職者が来たとする。年収500万円の社員は会社に1000万円の売上げをもたらしているのに対し、求職者なら会社に2000万円の売上げをもたらすことがかなりの確度でわかっていたとする。あなたの手元にある給与予算の余剰はあと500万。よって求職者を雇用するためには、年収500万の社員をクビにしなければならない。あなたはどうするか。
もしあなたが年商1億円の会社の経営者だったとしたら、あなたはすぐにでも年収500万の社員をクビにして、年収1000万円の社員と交換するだろう。それだけで売上げが10%も伸びるのだ。
しかし、あなたが年商1兆円の会社を経営していたのだとしたら、あなたは同じことをするだろうか、年商は額で1000万増えたとしても、率だとわずか0.001%。この程度の売上げ増を評価してくれる株主なんぞまずいない。そのためにわざわざ社員に文句を言われるのはうざい、すなわち心理的コストが高い。
それならば、わざわざ社員を交換するまでもない。雇用流動制とはいっても、「最も優れた者を雇用する義務がある」とまでは行かないはずなのだから。せいぜい「最も優れた者を雇用する権利がある」程度だろう。
実際のところ、世の中を見ていると、小さな会社ほど社員の転職率が高い一方、役員の転職率が低い。大きな会社ではこの逆で、経営陣はころころ変わっても、社員はずっと長くいたりする。事実上雇用流動制が導入されているに等しい合州国で、その傾向はいっそう顕著である。
ということは、以下のことがかなりの蓋然性をもって言えるということでもある。
- 雇用流動制が導入されても、雇用流動性が高まるとは限らない
- 雇用流動制が導入されると、経済が成長しても給与が伸びるとは限らない
うち2.は、現代日本がまさに体験していることである。英米ではより顕著にその傾向が見られる。
で、この設問だ。
我々は、本当に the best を求めているのだろうか。
どうもそうではないらしいという思いを、私は年々強めている。
我々が求めるもの、それは the best を手に入れることではなく、good enough を失わないことなのではないか。
これは、我々、すなわち人類のみの傾向ではなく、生物全般を通して言えることなのではないか。
我々=生物が変革を求めるときは、the best の状態にないときではなく、そのままでは good enough が失われる時である。その際は better を求めるが、たとえ the best が見えていても、good enough なニッチ(niche; 英語だと「ニーシュ」なのでそう書きたくなってくるが「ニッチ」でgood enoughなので)が近くにあれば、むしろそちらを目指すのが我々なのではないのか。
なぜ雇用が市場で斬れないのか。これに対する最も単純かつ本質的な回答は、
被雇用者は物(thing)ではなく生き物(life)だから
でいいと感じている。もしそうだとしたら、the most outcome by the whole (全体による最大益)ではなく、good enough for the most (充分な益を得るものの数が最大)こそが、the best for us なのではないか。
念のために付け加えておくと、現状の雇用制度がそうだというつもりは全くない。実際現状の雇用制度は、既得権益者にとっては good enough であってもそうでないものには too bad だからだ。私が言いたいのは、雇用流動制は銀の弾丸ではありませんよ、ということだけである。
Dan the Blogger Good Enough to Survive
日本全体の閉塞感はworseの状態が当たり前だと私達が考えてしまうのか、
betterの状態を目指す労力が減退しているのか、どっちなんだろう。