耳を傾けるに値する意見だ。
無駄だらけの現代授業を最適化しよう - 高校生奮闘記そもそも現代の授業形態(学校だけじゃないよ、塾もね)というのはパソコン、もっといえばインターネット登場以前に最適化されているわけだから、今の高校生(俺だけじゃないと思う、ある程度パソコンを使いこなしている層ならみんなそう思うと思う。)の思考からすると『もっとこういうことしたらええやん』とか『これ無駄やん』とか思うところがたくさんあるのも当然なのだろう。
だが断る。
なぜなら、学習というのは、玉石混淆の場から、玉を拾っていくという行程だからだ。
そこに玉だけおいておいてなんとする。
実際のところ、元発言で提示されている「効率的授業」でさえ、「情報入力」という観点から行けば非効率的。効率を追求するのであれば、まずは本を読むべきで、本がなければ授業という現場に赴くより資料にアクセスして(紙でもWebページでもよい)それを「ホーム」で読むべきである。高校の授業ともなれば、そこで使う「情報」はまず書籍化してあるだろう。授業になんぞ出ている暇があったら教科書を読みたまえ。
違うのだ。
むしろ、授業というのは、「本当の」学習の場よりも玉を多くして、未熟な学生諸君にもなんとか玉を拾えるようにした場だというのが正しいのだ。「本物」が「漁場」だとしたら、こちらは「釣り堀」といったところか。やらせといえばやらせであるが、それで学生が学ぶことを学べるのであれば、いいやらせである。いきなり右も左もわからない現場に出くわす前に、「こうすれば玉をよりわけられる」ということを、「これが玉」「これが石」という具合に提示されながら学ぶというわけである。
だからこそ、幼稚園から大学まで、さまざまなレベル、さまざまなS/N比の学習形態を用意しているわけだ。そこには講義もあれば見学もあれば独習もある。それでよいのである。そうでなければ駄目なのである。
弾言しよう。
高効率授業しか受けていない者は、低効率現場において右往左往するだけである、と。
前頭葉を鍛える前に、まずは「知の消化器」を鍛えておくべし。
「知の高カロリー輸液」は、知の末期患者のためのものだ。若者が流動食ばっか食っててどうするよ!?
Dan the Learner
パワーアップのエサになってるね。