私は「金色のガッシュ」の読者ではないので、「一読者」ではなく「一漫画読者」の意見としたが、これはたしかにひどい。
漫画は書かぬが記事は書く私としても、他人事とはとても思えなかった。
まず、なんといっても原稿料がひどい。
1)「あまりにも編集者、出版社と言う物が漫画家を馬鹿にし始めた。」
これが訴訟へと動いた動機です。
(株)小学館、週刊少年サンデー編集部が私、雷句誠の漫画「金色のガッシュ!!」のカラー原稿を5枚紛失。そのカラー原稿に対する小学館側がだした賠償金の金額をみて、訴訟を決意しました。
賠償金の金額は原稿料の3倍でした。
私のカラー原稿の原稿料が1枚17,000円×3で51,000円。
そのうちの一枚はカット扱いとされ、1枚10,000円×3で30,000円。
51,000×4(枚)+30,000円=234,000円が賠償金。
その金額に何故か「補償金」と言うのが付き、その金額が266,000円
合計500,000円が小学館の出した、紛失したカラー原稿に対する金額です。
これがどれくらいのレベルかというと、文字だけの記事とほぼ同じか下手するとそれより安い。
まさに、
404 Blog Not Found:サルにならなきゃやってられない漫画教室それでも連載に応じるのは、そうでもないと肝心の本が出せないからである。一人で「書く」のが基本の作家と違い、漫画は一定以上の絵を確保しようとするとアシスタントが欠かせない。アシスタントを確保するには、日銭が必要だ。事実この新人漫画家の事例では、「売り上げ」は77万7600円もある。「年収930万」といえば、サラリーマンなら「勝ち組」一歩手前であるが、漫画家だと「これならアシスタントの方がマシ」ということになってしまう。
が事実であることを、他ならぬ漫画家が公言してくれたわけだ。
よしんば漫画を「描く」のが一人で出来たとしても、漫画を「作る」、すなわち大勢の読者に届く製品にするのは、一人では出来ない。編集者と出版社の力がどうしても必要だ。漫画家が産みの親なら、編集者と出版社は育ての親にあたる。
そして育ての親がいかに重要かは、本を一冊上梓すればいやでもわかる。
404 Blog Not Found:バラエティとバリエーションの違いWEB+DB PRESSの連載対談は、テープ起こしの段階で30ページ分ぐらいになってしまうことも多い。これを3ページにするのだから大変だ。どの号でも泣く泣く割愛したエピソードも多い。このあたりはいつか本に出来たらと思う。そろそろ『小飼弾の アルファギークに逢ってきた』について一言 言っておくか[小飼弾のアルファギークに逢ってきた(WEB+DB PRESS plusシリーズ)]|gihyo.jp … 技術評論社
対談を記事にまとめるのはとてもたいへんなのだと弾さんはブログでおっしゃっていますが,正直,編集するほうもちょっとたいへんだったりします(言っちゃったよ)。
で、これは編集者の名誉のために付け加えておきたいのだが、実感として、一つの記事が完成するためには、編集者は著者の三倍、汗を流さなければならない。著者が書く前に汗を流し、著者と一緒に汗を流し、著者が書いた後も汗を流さなければならないのだから。前準備に後始末。編集者のやるべき仕事は実に多い。よく「脳には150億個の神経細胞がある」と言うが、実は神経細胞一つにつきおよそ10倍から50倍のグリア細胞が存在し、神経細胞を支えている。編集者と出版社は、まさにこのグリア細胞のような存在であり、神経細胞はそれなしではすぐに餓死してしまう。
実際の利益配分においても、著者より出版社の取り分の方が大きいが、そのこと自体は、出版社の方が「必要不可欠にして退屈で、それでいて執筆そのものよりも手間がかかる仕事」を担っている以上は正当化される。より大きなリスクをバッファーしているのだから、より多くのリターンを受け取る権利があるはずだ。
リスクを、バッファーしているのであれば。
今回の争点の背景は、このリスクバッファリングという、本来出版社側が担うべき仕事を出版社がさぼっているということにあるように見受けられる。リスクは著者に丸投げで、それで「描かせてやっている」であれば、漫画家でなくとも萎える。そして残念ながら、読者は萎えた作品なんか金だして読んだりしないのだ。漫画家がいかに残酷な仕事でも、それを救済するのは読者の仕事ではないしなり得ない。
確かに漫画に限らず、出版社側の執筆者サポートがこの十年ぐらいのスパンで弱くなっているという傾向は強く感じる。今時の出版社は、執筆者の面倒などいちいち見ないのだ。その背景には、執筆者が増え、しかも数が増えただけではなく多様になってきているということがある。特にノンフィクションにおいてはこの傾向が顕著で、かつてはライターという、書くことそのものを職業としていたものが、取材した上で記事にしていたものが、取材対象であったはずの者たちが直接執筆するということが増えてきた。これでは「勝手がわからない」以上、サポートしたくても出来ないというのが実情でもある。
先日日垣隆さんとお茶したのだが、その中で出たのが、「タクシー王子すげえ」という話。「あれは取材では絶対に書けない。こういう本がバカスカ出るのではライターたまったもんじゃないね」。日本で最も経営意識の高いライターのこの言葉は、重い。私は出版業そのものがなくなったら驚くが、職業としてのライターが消滅しても驚かない。文字の本の世界では、「書ける人が書く」のではなく、「書くべきことがある人が書く」時代に突入しているのだ。
「幸い」なことに、漫画はまだそうなっていない。名医が自叙伝を書くことは珍しくないが、名医が自叙マンガを描くところまではまだ行っていない。せいぜい原作までだ。それくらい描くということは、書くことに比べて手間も暇もかかる。よって、文字の世界のような「リストラ」はそぐわないはずなのだ。にも関わらず「あまりにも編集者、出版社と言う物が漫画家を馬鹿にし始めた」と思われているのはなぜなのだろうか。
例えば漫画家と出版社の関係にしても、アシスタントの給与は漫画家持ちというのは経営として最適なのだろうか。アシスタントを雇うということは、漫画家が漫画ばかり描いていられず、人材管理もしなければならないということでもある。それでうまくやっている人も当然だが、これだと「漫画だけ描いていたい」という「マンガギーク」のニッチがない。漫画家には描くことに没頭してもらい、そういう環境を用意する代わりに、初版印税を抑えるなどの方法も考えられるのではないだろうか。
とにもかくにも、読者が求めているのは、極論してしまえばあくまで漫画であって漫画家でも出版社でもない。それが面白ければ、誰がどこでどのように描き、どのように作られたものでも読む。漫画に限らず作品とはそういうものだ。その点において出版社というのは、哀しいかな漫画家ほどには重要ではないのだ。いくらかけた手間が多くとも、読者が気にするのは「誰のどんな作品」ということであって、「どの出版社の」がそこに入る余地はほとんどないことは、「ブラックジャックによろしく」で小学館も肯定的に学んだはずなのだが。もちろん「さよなら絶望先生」のような逆の例も枚挙にいとまがないのだが。
「産みの親より育ての親」というのは、反例においても真実だということを、育ての親たちはあらためて考えた方がいい。「育てた」ふりをして何もしないどころか「生みの親」と「子」をいじめるというのは、自らの存在価値の否定でしかない。
Dan the Mangaphilia
>前者はあたかも著者と編集が共同で汗を流している時の仕事量が同等の様ですし、
作家→編集と企画を考える
編集→企画を考える為にリサーチ。結果、作家と考える。広告打つ、マーケティングする、売れない場合のリスクヘッジ。まぁ別に編集だけがやってるわけではないから語弊があるのかもしれない。
あたかもの使い方がおかしい。
>後者は「退屈」だから報酬が上がるってどんな理屈ですか。
面白い仕事なら報酬少なくても誰でもやるっしょ?
面白くない仕事だから、だれもやりたくないから、胃が痛くなるから給料高いんでしょ?