私も答えてみよう。

ディスカヴァー社長室blog: 良書とは何か? あるいは「感動」の条件 ●干場
あなたにとっての良書の定義とは何ですか?
ディスカヴァー社長室blog: 良書とは何か? あるいは「感動」の条件 ●干場
「この世には、2種類の本しかない。感動のある本とない本の2種類。そして、良書とは、感動のある本だ」と。

同意しない。なぜなら、感動がない良本も存在するからだ。

それはどんな本か。

ずばり、「使う本」である。

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理科年表 平成20年版

たとえば、こちら。理科年表を見ても感動できるし、私自身は理科年表を見て感動するたちだし、某所で「歩く理科年表」というあだ名を頂いたこともあるのだが、しかし理科年表の役割は、感動を与えることではなく精確なデータを与えることにある。感動はおまけ。

実は、本の本来の役割としては、こちらの方が先決。ローマに「非文化的」とさんざん揶揄されたカルタゴですら、農業マニュアルを上梓していたぐらいだ。

本に期待される役割が、「情報源」から「感動源」になったのは、比較的最近の傾向と言ってよい。なぜそうなったかといえば、社会がそれだけ豊かになって、本が「必要に迫られて読む」ものから「読みたくて読む」ものになったからだ。

思考実験を試みれば、このことはわかる。仮に本を10冊しか持てない状況があったとする。Webへのアクセスも出来なくなったとする。あなたはどんな本から「捨てて」いくだろうか。10冊あれば「心の拠り所」は何冊か残せるだろうが、その場合でも「レファ本」は必ずその中に残っているはずだ。

しかし、この切実度の高さが、「レファ本」をWebに追いやる一因ともなっている。今やレファ本の機能の多くがWebに移転している。Wikipediaなしの生活を、今では思い出すのも困難だ。金を払ってもいいというのであれば、理科年表も

のとおりオンライン版があるし、JapanKnowledgeのように、一カ所で複数のレファ本にアクセスできるサイトもある。

確かに、レファ本の多くが電子化される昨今において、「感動」が紙の本にとってますます重要になるということは変わらない。しかし「有用度」という次元がなくなることも、またありえないだろう。

あと、「有用度」は「感動度」と比較してもう一つ優位な点がある。客観度がそれだけ高いのだ。その分評価しやすい。「おもしろい」「つまらない」は読者を選ぶが、「使える」「使えない」は読者を選ばないのだ。

良本を示す指標は、よって少なくとも二つある。「面白い」と「役に立つ」だ。そしてこれから執筆を目指す人には、まず「役に立つ」を目指して欲しいと考えている。「面白い」はまだ「どうすれば面白くなるか」を言語化できるほどのノウハウはなく、才能が占める部分が大きいが、「役に立つ」であれば「どうすればより役に立つ文書が書けるか」というノウハウがすでにかなりの部分言語化されており、そしてそのノウハウは今もなお進化を遂げている。ぶっちゃけ、「役に立つ」方が簡単なのだ。

もっとも、「役に立つ」だけの本は儲かりにくくなっているというのもまた事実。専門書の分野でこのことは顕著だ。そして、「役に立つ」本だって「面白く」なりうる。出来ればそれを狙ってみたい。

しかし、どちらを優先すべきかといえば、少なくともノンフィクションに関しては(実はフィクションも)「役に立つ」、だ。

本entryがあなたの役に立ったことを祈る。

Dan the Bookworm