出版社より献本御礼。

折角献本いただいたにも関わらず申し訳ないが、本書をひと言で言うと、「うんこ味のカレー」である。

本書「何のために働くのか」は、SBIホールディングス代表取締役CEO、北尾吉孝による説教本。

本題に移る前に、まず本entryはあくまで書評であり、人物評でないことをお断りしておく。私自身は、北尾吉孝氏に畏敬の念を抱くものの一人である。少なくとも、単純な善悪や功罪で推し量るにはあまりに巨きな人である。罪がないとは言えないが、功はそれを上回ると個人的には感じているし、それ以前に現役であられるのだから、功罪を問うのは時期尚早だと考えている。

だからこそ、言わずにはいられない。

つまらない本を書きやがって、と。

なにしろ、「はじめに」にしてからこうである。

P. 1
昨今では、ほとんどの若者は「何のために働くのか?」について真剣に考えたことがないと思います。同様に「人間とはなんぞや」、「人生いかに生きべくか」ということも、おそらく考えたこともない若者がほとんどだと思います。

本来であれば、この時点でゴミ箱行き--つまらんを通り越して有害につき、ブックオフにも売るべからず--なのだけど、折角献本いただいたので、さらに読み進む。

戦前の日本の世界に誇るべき豊かな精神文化が荒廃し、今や家庭でも学校でも、人生の生きた問題を解決するための人間学ともいうべき学問を身につける機会がなくなったと言っても過言ではないでしょう。

1951年生まれの著者が、どうやって「戦前の日本の世界に誇るべき豊かな精神文化」を知ったか、私ごときに知る由もない。私にわかるのは、自ら経験したことすら、わからないことの方が多いという、「わからないことがわかる」ということである。ましてや自分の生まれる前ともなれば「こうだったのだろう」と憶測するしかなく、そして憶測である以上、それがあたかも事実であるかのごとく語るのは反則であるというのが、若輩者の作法と心得ている。

「それでも古典に明るいと喧伝される著者なのだから、それくらいわかって当然」と自らを無理矢理納得させつつ読み進めると、こんな一節が。

P. 165
私の家には、中国の著名な書道家に書いていただいた「寧静至遠」という書があります。これは諸葛亮孔明が五丈原の戦場で陣没するとき、幼い息子に宛てて書いた遺書の中にある「淡白にあらざればもって志を明らかにすることなく、寧静にあらざればもって遠きを致すなし」からとった言葉です。

諸葛亮孔明?諸葛亮でもなく諸葛孔明でもなく?横山光輝北方謙三が描く三国志演技インスパイヤなフィクションならそれも乙だと思うのだけど、「『厭離穢土 欣求浄土』を唱えたのが徳川竹千代家康が」って書いてあったらありがたいはずの古典も冗談にしか聞こえなくなるのでは?

ひいき目に見て、本書は年寄りの愚痴を、それも自らの言葉ではなく古典を引用してちりばめた以上のなにものでもない。それを差っ引いたら残るものはほぼ皆無。つまらない上に役立たないという意味で、イグノーベル文学賞をとってもおかしくない。老人でもない著者が、これだけの老害を綴ることが出来るというのは確かに快挙、いや怪挙と言ってよい。

おなじ老人のたわごとでも、「国家の品格」には「藤原節」があった。現代日本をこき下ろす一方で自虐もユーモアもあって、毒ではあるがそれに気をつけさえすればむしろ楽しめる一冊であった。また、現役経営者によるクソ本は少なくなく、IT業界でも、「ケイタイ+マンガ 日本発ブロードバンド革命」というつまらなさが頭一つ抜けた「超作」があるが、少なくとも薬もなければ毒もない本であった。余談であるが、本書と著者の対比と同様、同書の著者である藤原洋はつまらない人ではとてもない。著書がひどいからといって著者もひどいという立場を私はとらない。

それを考慮してもなお、本書の加齢臭のすさまじさには、鼻が曲がる。単に私の年季が足りないだけなのだろうか。本書はすでに13万部も売れたそうである。誰が買ったのだろう。本書が対象としているべき、著者よりも若い人々ではありえないのだが。

Dan the Victim