ディスカヴァー社よりいつもどおり献本御礼。

ディスカヴァー社長室blog: 計略を楽しめ! 兵法36計に学ぶ自分の強みの見つけ方 ●干場
そう、わたくし、実は、このブログで暴露しているより、ずっとずっと賢いのですのよ!?

その通りである。私が保証する。

なぜなら干場社長はどの計にも増して、第零計の達人だからである。

本書「中国人のビジネス・ルール 兵法三十六計」は、今までも多くの本で語られた三十六計 の本の一つであるが、その中でも最も私の腑に落ちた一冊である。

第零計が、書かれていたからだ。

目次 - Discover: ショッピングカートより
第一章 「兵法」がわかれば中国人がわかる
中国人は、現代のビジネスに「兵法三十六計」を活用している
中国人は出会う人間を「身内」と「外部」に分け、身内には「儒教」、外部には「兵法」で接する
兵法は戦乱の歴史の中で発達してきた、「戦わない」ことを目指す不戦の哲学である
兵法は最高の自己防衛術として、中国人の行動指針となった
兵法では、真正面からぶつかって戦うのは下策、計略を使って戦わずして勝つのが最上とされる
日常を生きるための実践兵法として、「兵法三十六計」が生まれ、現在の中国人にも駆使されている
中国人にとってビジネスの場は「戦場」。兵法三十六計を活用するのは当然だ
苛酷な環境が兵法三十六計を使わせるとすれば、将来は使われることが少なくなっていくかもしれない
日本でもかつて兵法は活用されていた。今また、中国人とつき合うために、兵法を知るべきだ
第二章 事例で理解する「三十六計」
第一計 瞞天過海
第二計 囲魏救趙
第三計 借刀殺人
第四計 以逸待労
第五計 趁火打劫
第六計 声東撃西
第七計 無中生有
第八計 暗渡陳倉
第九計 隔岸観火
第十計 笑裏蔵刀
第十一計 李代桃僵
第十二計 順手牽羊
第十三計 打草驚蛇
第十四計 借屍還魂
第十六計 欲擒姑縦
第十五計 調虎離山
第十七計 抛磚引玉
第十八計 擒賊擒王
第十九計 釜底抽薪
第二十計 混水摸魚
第二十一計 金蟬脱殻
第二十二計 関門捉賊
第二十三計 遠交近攻
第二十四計 仮道伐虢
第二十五計 偸梁換柱
第二十六計 指桑罵槐
第二十七計 仮痴不癲
第二十八計 上屋抽梯
第二十九計 樹上開花
第三十計 反客為主
第三十一計 美人計
第三十二計 空城計
第三十三計 反間計
第三十四計 苦肉計
第三十五計 連環計
第三十六計 走為上
第三章 いかにして「計」を察知し、対処するか
1 「計」を察知するために
2 「計」を予防するために
おわりに

三十六計が何を意味するかは、今更説明するまでもないだろう。中国の為政者たち、特に曹操に好まれた孫氏の兵法(Art of War)に対して、市井において流通し、今でも中国人であれば、関西人のボケとツッコミと同じぐらい自然に出てくる計略のことである。

計略自体は、中国人の専売特許ではない。実際本書を読めば、たいていの計は日本語による言い換えがすぐに思いつく。たとえば抛磚引玉は、「エビで鯛を釣る」と訳せる。遠交近攻のように日本語でもそのまま通用するものもある。

こうした計略を、日本人は意識して行うのに対し、中国人はまるで脊髄反射でやっているがごとく自然に使い分けている。そのおかげで「中国人はずるい」と思われがちなのだが、実は三十六計には、重大な例外がある。

身内、である。中国語では「自己人」と言う。それに対する、日本語で言うところの他人は「外人」である。中国人にとって、計略はあくまで「外人」に対する心得なのだ。

この内外の峻別は、言語構造にさえ組み込まれているように見受けられる。中国語には、一人称複数が二つある。「我們」と「咱們」だ。この二つの最大の違いは、二人称、すなわち「你」(you)が含まれているか否か。前者には含まれず、後者には含まれる。日本語も英語も、「我々」や"we"だけではどちらを指すのかはわからないが、中国語ではきちんと区別できるし、そしてしている。

そして、「咱們」という言葉は、「外人」相手にはまず出てこない。

第零計とは、「我(們)対你(們)」を、「咱們」にすること、すなわち「友化」だ。走為上ではない。友最好なのだ。

本書は、三十六計の書に見えて、実は第零計でそれをサンドウィッチしている。これこそが、本書の最大の特長なのだ。「苛酷な環境が兵法三十六計を使わせるとすれば、将来は使われることが少なくなっていくかもしれない」まで踏み込んだのは、三十六計が主題となっている本でははじめてなのではないか。

中国人が日本人に「負ける」ことが滅多にないのに、中国が日本に「勝つ」ことが滅多になかった最大の理由、それは第零計の不得手にある。赤の他人を克つべき敵とまず見なすか、それとも結ぶべき味方とまず見なすか。その差が国力に反映されたのだ。

ご存じかも知れないが、私は中国にいたことがある。子会社を立ち上げていたのだ。当然中国人の部下が何人もいたのだが、彼らは実にくみしやすい相手だった。三十六計を駆使しようとする者ほどそうだった。計を計で凌駕するのは、それほど難しいことではない。

「真正面からぶつかって戦うのは下策、計略を使って戦わずして勝つのが最上」、すなわち兵法にとらわれているうちは、中国人は恐くとも中国は恐くない。中国が本当に恐くなるのは、彼らが第零計、すなわち「ともに勝つことこそ最上」に目覚めた時だ。その時に彼らは我々と話す時、「我(們)対你(們)」というだろうか、それとも「咱們」というだろうか。

その違いこそが、この国の未来の違いとなって現れる。そんな思いを本書を読んで新たにした。

Dan the Chinese Tamer

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