著者より献本御礼。
いわゆる学力低下を論じた本の中では最高傑作なのだが、しかしそうここで告げることがなんとも気恥ずかしい一冊でもある。
おこがましいことを承知で申し上げると、著者の芸風が、あまりに私に似ているのだ。
いや、私の芸風が著者にあまりに似ているというべきか。
本書、「学力低下は錯覚である」は、担当する学生たちのあまりの学力不足ぶりにorzとなった著者が、転んでもただで起き上がらずに立ち上がった際に得た奇貨。実は本書を私が知ったのも、Amazonの注文記録という奇貨であった。書評どころか私が本書の存在もしらなかったある日、本書の注文がどさっと入っていたのだ。これは何かあるに違いないと思い、私自身1部注文してしまった。そういうわけで私の手元には本書が2部存在する。本書を「嗅ぎ付けた」のは、名も知らない本blogの読者である。どなたかは存じ上げないが、本書と著者の存在を教えてくれたことにこの場を借りて御礼申し上げる。
目次 - 森北出版|学力低下は錯覚であるが貧弱だったのでAmazonより
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本書の「目玉」は、以下の二つのパラドックスに単純にして明快な解答を与えていることである。
- 大学生たちの学力は年々下がっている
- 高校卒業生たちの学力は下がっていない
これは、双方とも観測された事実である。前者ばかりが喧伝されているが、後者も事実であることは著者がきちんと示してくれている。一見すると矛盾するこの二つがなぜ両立するか?答えは本書で....と言いたいところだが、書いてしまおう。これはあくまで本書の目玉であってキモではないのだから。
答え:少子化が進んだから
「ハァ?」ですって?もう少し解説しましょう。
解説:高校卒業生が減っているのに、大学の定員は変わるどころかむしろ増えたから
まだピンと来ない?こういうことです。
大学が100人の島だったとしましょう。島の定員が100人というのは今も昔も変わりません。この島では、本土の高校卒業生のうち、最も優秀な30人を入学させています。かつて、本土の高校からは毎年120人が卒業していました。そのころに入学していたのは、上位25%ということです。ところが、今や高校卒業生は毎年60人しかいません。上位50%であれば入学できるのです。
もし高校卒業生の学力、正確には学力の分布が変わらないとしたら、かつての30人と同じ学力を持つ生徒は15人しかいないはずで、残り15人はかつてであれば大学に入学するには学力が足りなかったのに、島の定員が変わらないため入学できてしまった生徒ということになるのです。Q.E.D.
結局学力低下の何が錯覚かといえば、基数(cardinal)と序数(ordinal)の取り違えということなのである。言われてしまえば、我が家のまだ10歳に満たない長女にもわかる。しかし、それが錯覚であることを見抜くのは容易ではない。むしろ大人には、「存在しないはずの服」が見えてしまう。著者が立ち上がった所以である。
しかしそれだけであれば、わざわざ本に書くまでもない。blogの1 entryで間に合う。あるいは、「識者によるアンソロジー」に一章だけ寄稿すればよい。
斎藤孝による推薦Masahiro Kaminaga's Weblogイメージで語られやすい学力低下問題を,客観的データに基づいて冷静に議論しようという科学的態度が素晴らしい.学力低下の実感が,そのまま学力低下の現実を意味しないことを,少子化などの論点を整理して明らかにしている.イメージや実感だけで学力問題を語ることの不毛さを実感させてくれる本だ.
というのは間違いではない、だが本書の価値は「客観的データに基づいて冷静に議論しようという科学的態度」ではなく、むしろ「主観的印象から、どうやって客観的データに基づいた冷静な議論にもっていくか」という「情から知へ」の転換であり、そしてそれをどう主観に反映させるかという「知から情へ」の再転換にこそあるのだ。
本書には確かに客観的データがふんだんに盛り込まれ、相関グラフには回帰曲線とR2が必ず載っている。しかし本書の価値をそこに見いだすというのは、天ぷらの衣だけ食すに等しい。本書の具はあくまで本文であり、そこにおける「神永節」なのだから。
P. 13しかし、半年間講義をし、試験をしてみると唖然とする。たとえば、「nを入力して、1からnまで足すプログラムを書きなさい」という問題に解答できる学生は、せいぜい二割である。残りはめちゃくちゃな答えであるか、全く手をつけていない。アルゴリズム云々以前の問題である。
javascript:alert((function(n){return (n*(n+1))/2})(parseInt(prompt('n=',''))))というのを思わず脊髄反射で書いてしまったが、本書にはこうした著者の現場におけるとほほ話を紹介しつつ、それを他人事にすることを、著者はよしとしない。
あとがき P. 137改革を成功させるのは難しい。欠点のよくわかっている現在の組織から、欠点のよくわからない組織に変えるということだからである。感情的な議論を繰り返した挙句、最悪の選択をしてしまうことは避けたい。議論する時には、可能な限りデータを集める必要がある。地味で時間のかかる作業だが、ここからスタートすることが、結局は改革を成功させる近道なのではないだろうか。多くの大学には、この種の仕事をする専門家がいないが、今後その重要性が増してくるに違いない。
この問題を、学生たちの問題でもなく、「この種の仕事をする専門家」の問題でもなく、まずは自分ごととして理解しそして提言する著者の姿勢は、学究の基本に忠実であると同時に、民主主義社会における市民の鑑ではないだろうか。
大学は義務教育ではない。そこで学ぶことは、よって権利の行使である。その権利に対応する義務というのは、そこで学ぶのに最低限必要な学力=学ぶ力を備えているということなのであろう。せめて本書を読解する学力ぐらいは要求してもよい。教育に感心を持つ全ての人々もさることながら、誰よりもまず大学を目指すあなたに読んでいただきたい一冊だ。
Dan the Learner
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