松本@筑摩書房様より献本御礼。

いやあ、日本語って、本当に面白いですね((c)故水野晴郎)

本書「煩悩の文法」は、日本語文法の本。それも、「体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話」とあるように、「知識の文法」と「体験の文法」が異なり、そしてなぜ異なるかを考察した一冊。

目次 - 筑摩書房 煩悩の文法 ─体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法 / 定延 利之 著にないので手入力
まえがき
第1章 知識の文法と体験の文法
第2章 ワクワク型の体験
1 ワクワク型の体験とは?
2 「で」
3 頻度語
4 「ばかり」
5 「たら」
6 「た」
第3章 ヒリヒリ型の体験
1 ヒリヒリ型の体験とは?
2 頻度語
3 「ばかり」
4 「たら」
5 「た」
第4章 環境とのインタラクション
あとがき
参考文献

まずは以下をご覧頂きたい。

  1. 弾の家で本棚があった
  2. 弾の家にパーティーがあった

どちらも日本語としては変である。1.は「弾の家本棚があった」でないと変だし、2.は「弾の家パーティーがあった」でないと変だ。しかし、英語では"There was a bookshelf in Dan's", "There was a party in Dan's"で、どちらも区別していない。

それでは、日本語では何を区別しているかというと、「もの」(object)と「こと」(event)だ。「もの」に対しては「に」を使い、「こと」に対しては「で」を使う。言われてみればそれだけのことだが、そもそも日本語では「もの」と「こと」を文法で明白に区別ことしている自体、日本人にとってはあまりに自然で言われてみないと分からないのではないか。

私はこのことをたまたま知っていた。まさにこのことを外国人に問われ、考えながら説明したことがあったからだ。

この指摘だけでも面白いのだが、本書のキモは、このルールが体験談においては適応されないことを指摘した事にある。たとえば以下の文章を見ていただこう。

  1. あの本、弾の家であった
  2. 「あの本、弾の家であった」

上と下と、どちらが自然に聞こえるだろうか。かぎかっこでくくっただけで、下の文の方が自然になった感じはしないか。

それが何故なのかは、是非本書で確認していただきたい。中学生以上であれば、本書を存分に楽しめるはずだ。川口澄子による挿絵も素晴らしい。

ところで、以下の文章は正しいのか間違っているのか。

  1. あの書評、弾のblogであったよ

日本語って、本当に面白いですねえ。

Dan the Nullingual