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プログラミングファースト開発の必要性 - ひがやすを blogこれをふまえて考えたのが、以前提案したプログラミングファースト開発だ。
プログラミングファースト開発とは、ドキュメントを書いてからソースコードを書くのではなく、動くソースコードを書いてユーザに実際に触ってもらうということを何度も繰り返して、仕様を固める開発手法。ドキュメントは仕様が固まった後に書く。
実は私自身、この言葉が生まれる前から実践してきたのだけど、一つけったいな問題点があるので、それを指摘しておく。
それが何かというと、
客がそれを安易だと勘違いして、安価だと思いやすい
こと。
プログラミングファーストの場合、最早だと打ち合わせのその場で動くものを見せたりする場合がある。客が分かっている人だと、その事にボーナスを出したりくれたりもするのだけど、残念ながら「あ、こんなに簡単に出来るんだ。じゃあ人月計算にこの打ち合わせの時間をかけた数字で支払いOK」と勘違いする客も少なくない。
実はこの問題、少なくともルネサンスまで遡れる。
わが友マキアヴェッリ 文庫版P. 40ある時、ジェノヴァの一商人が、ドナテッロにブロンズの頭部像を注文した。仲介をしたのは、メディチ家の当主で、当時のフィレンツェの事実上の支配者でもあり、ドナッテロのパトロンでもあったコシモである。ブロンズ像は、見事に完成した。商人も、満足のようだった。ただ、ジェノヴァ商人にしてみれば、ドナッテロの要求した額が、非常識に思えたのである。ブロンズ像制作に要した期間は、一ヶ月あkそれに少し足した期間にすぎない。一日分の労賃を半フィオリーノとしても、高すぎる、というわけである。
で、ドナテッロはどうしたか。
「おまえなどは、彫像を商うよりも、豆でも商っているほうがふさわしい」
といって、つくりあげたばかりの像を窓から投げ捨てた。道路にたたきつけられた像は、ひしゃげたブロンズのかたまりと化してしまった。
私も、似たような目にあったときに、似たような対応をしたことがある。作ったばかりの成果物を、単にファイル削除したのではなくて全部ゼロ書き込みしたのだ。
ただ、その後の対応はドナッテロよりせこい。
後悔したジェノヴァ人は、言い値の二倍だすからもう一度つくってくれという。だが、ドナッテロはもう耳を貸さなかった。コシモ・デ・メディチが推めても、耳を籍さなかった。
三倍の値段で作り直したのは、私がドナッテロでないこともあるけど、コシモに相当する存在がいなかったこともある。
まあそんなわけで、プログラミングファーストは相当のマッチョでないとキツイというお話。少なくともプログラミングの腕だけでは駄目で、顧客に対して相当強気に振る舞える人でないと難しい....
Dan the Programming-First Developer
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