20も覚えきれません><
あなたに自分の好きなことをする自由な時間を取り戻す20の方法 - GIGAZINEというわけで、あなたに自由な時間を取り戻す20の方法を以下にメモしておきますので、参考にして自由な時間を作っておきましょう。
その代わり、私は以下の三つの不自由、一つの疑問、そして二つの注意点だけ考えることにしています。
三つの不自由
- 物理
- 自分
- 自由
順を追って説明しましょう。
物理法則
我々はどんなにあがいても、光円錐の外には出られないことになっています。「一秒で月まで往復」というのは無理なのです。
しかしこの不自由は、あまりに当然過ぎて法律家ですらしょっちゅう忘れてしまいます。その結果、「物理的に見て無理がある」法律が今でも結構残っていたりします。こうした「物理的に無理な法律」は、民法772条(いわゆる300日ルール)のように、運用でカヴァーされていたりもしますが、そもそも物理的に無理がある法律をそのまま放置することに無理があるはずです。
あなたが望む自由に、物理的に無理がないかまず確認しておきましょう。
自分自身
あなたはあこがれのあの人のようになることはいくらでも可能ですが、あの人そのものになることは出来ません。自分は文字通り一生もので、そこから出ることは出来ないのです。
「王子と乞食」に「転校生」。人格が入れ替わってしまうフィクションが結構あるのは、この不自由が意外と重いことを示しているのかも知れません。
どうせ自分自身から自由になれないのであれば、どうすればもっと自分になるかを考えることにしましょう。
自由そのもの
我々はこの宇宙の囚人であり、そして自分という拘束服を脱ぐことは出来ません。しかし本当に不自由なのは、ゼロ自由という状態そのものがないことではないでしょうか。
奴隷ですら、不服従という自由があります。もちろんその代償として制裁が伴うわけではありますが。「カレー味のうんこvsうんこ味のカレー」とは言いますが、それでも選択肢は選択肢であり、自由は自由です。どの選択肢を進んでも、ドドメ色の未来が待ち受けているという状況は確かにあります。しかしその場合でさえ、確かにあなたは自由なのです。
一つの疑問
なんだかこう書いていると、自由というのはほんとにいいものかという気分になってきます。それがまさに疑問なのです。まとめるとこうです。
おまえは本当にその自由が欲しいのか
これについて考えを推し進めると、意外なことにほとんどの場合においてその答えはNoなのです。「31種類のトッピングから3つ選べ」と言われて26,970通りも選択肢があってうれしいという人は実はまれです。本当に欲しいのは自分にあった数通りのはずです。あるいは、「まだどれがいいかわからないから決定を留保」するか。
実のところ、我々が望む自由というのは、ほとんどの場合自由そのものではなく、「不快な選択肢の放棄」のような気がします。我々はなぜ約束を交わすのでしょう。約束というのが自由の放棄であるにも関わらず。
2つの注意点
というわけで、この二つの注意点にたどりつきます。
- その約束は自分に何をもたらすか
- その約束を果たす能力が自分にあるか
この二つに留意しながら、約束という名の拘束で自分を快く縛っていくのです。きつく縛りすぎては、読みが外れたときに身動きがとれなくなってしまいます。かといって縛りがない状態に耐えられるほど人は強くありません。少なくとも、私は。
配偶者、家族、職場、友人、そして国家。現在の「自由主義国」にはかつてないほどさまざまなレベルの縛りが存在します。うまく利用すれば、その縛りは我々に幸福をもたらしますが、縛りの組み合わせはかつてないほど多く、そして現在もなお増えています。我々が自由を得れば得るほど、選択肢の悩みに縛られるというわけです。結局自由主義とは、アイスクリームのフレイヴァーが増えただけなのではないか、と。
これだけは、確かなようです。
自由の苦痛から逃れる唯一の方法は、約束という包帯で自分を縛ること
だと。
Dan the Slave of Freedom
と思ってますが何か?