それならもう3年前に書評してたなあ

安心社会から信頼社会への移行をグーグルが強制している - アンカテ
それはともかく、大変重要な本を見落していた

それはさておき....

安心社会から信頼社会への移行をグーグルが強制している - アンカテ
それと、おそらくアメリカでは「パブリック」であるということは「みんなのもの」ということになるのだけど、日本では「みんなのもの」と言う時には「コミュニティのもの」を意味していて、「パブリック」という言葉は「お上のもの」という風に理解されているのではないだろうか。

これはさすがに言い過ぎ。かの国においても「安心」を求める声は確かにある。

そのこともまた、Googleを使って確認することが出来る。

上記の検索結果のリンク先を追えば、Gated Community 内部の Street View 削除がたくさん出てくる。確かに「安心社会から信頼社会へ」にあるとおり、大まかな傾向としての日本人の安心指向と米国人の信頼指向というのはあるけれど、かの国が完全に「信頼化」されているかというとそれは違う。

で、日本の Street View だ。我が家の最寄り駅は月島駅だが、このまわりの道は真っ青、すなわちに"Street Viewed" されている。

で、これで私が不安を感じるか、というと全然感じない。しかし、それは私が「信頼化完了」しているから、ではない。私自身は Google の Heavy User であるし、アボセンスを差し引いても Google から得たものは損失を遥かに上回る利益を得ている。売れる書評entryは、たいてい書名で(文字通り)ぐぐればAmazonの次か、ものによってはその上に来る。本blogのPage Rankも6にまで上昇していた。それでもなお、というよりだからこそ Google は100%信頼の対象とはなり得ない。「Google様が乱心した」時への備えは常に怠らないようにしている。毎日100万SMTP接続以上のSPAMに耐えてもなお自前のメールサーバーを死守しているのもその一環だ。

にも関わらず、 Street View に関しては他の Google のサービス、たとえば gmail に比べたらずっと不安は少ない。なぜか。我が家が Street とは直に接していないからだ。

ご存知かもしれないが、我が家はマンションの一アパートメント。Street、すなわち「パブリック」からアクセスするには、まずマンションに入らねばならない。外からは鍵がなければ開かないし、開いた先のロビーには24時間人が詰めている。誰を我が家に招いて誰を招かぬかは、こちらの手の内にある。

その安心感があるから、私だけではなくマンション住民も「バベル」撮影をOKしたし、私自身もリクルート住宅情報をはじめ多くの取材をここで受けている。「パブリック」と「プライヴェート」の間に、「コミュニティ」がDMZ = Demilitarized Zoneとしてはさまっているのだ。

そして、これが本 entry の表題、「信頼化社会において安心を得る最も手軽な方法」の答えでもある。一言でまとめると「コミュニティというDMZをはさめ」である。コミュニティという中間領域が存在することで、激変するパブリックに対峙する時間的空間的余裕が得られるのだ。

これに対して、Webサービスでは、隔てるものはブラウザーのウィンドウ一枚である。パブリックはまさに目の前にある。どちらが「信頼化ストレス」が高いかは言うまでもない。

もちろん、コミュニティはただではない。設立コストも維持コストもかかる。マンションの場合は購入時には設立コストが販売価格に上乗せされているし、購入後も管理費と修繕積立金を毎月請求される。しかしその費用を上回る効用があればそれでよいし、またその費用対効果は「みんな」=コミュニティのメンバー≠パブリックの自助努力で改善できる。

これが一軒家だとしたら、こうは行かないだろう。もちろん向こう三軒両隣の付き合いはあるし、町内会のような組織もなきにしもあらず。しかしこの場合のコミュニティはマンションのそれほど明白でもないし堅固でもない。私が一軒家の住民だとしたら、塀に「犬と Google Street View Car お断り」とか張っていたかも知れない。あるいは逆に本blogのURLをでかでかと表示しておくか....

別に Google を持ち出さなくても、信頼化への流れは止まらないだろう。だからこそ、コミュニティというものの価値が増すはずだ。信頼化社会が強制しているのは、実は安心を捨てることではなく、安心を可視化することではないのか。

と書いたら安心できた....ような気がする。

Dan the Man in the Community