違う。
[を] 「ブログの読者」が知らないだけ情報を情報発信しさえすればよいかとブログは「他の人が知らないこと」を書く必要はなく、
「ブログ読者が知らないこと」を書けばよいんですよね。
だって、私はこれを読んでいるあなたが何を知らないか、知らないもの。
実のところ私は、自分が何を知らないかすら知らない。「無知の知」どころじゃない。「無知の無知」だ。ムチムチだ。確かにムチムチな体型ではある。
メタボはさておき、実は自分が何を知っていて、何を知らなかったのかというのは、その「知」に触れてみないとわからないのではないか。
ここに書いてあることは、あなたがもう百万回も目にしたことかもしれない。他でもっとわかりやすく洗練された形で紹介されていることかも知れない。いや、多分そうだろう。
しかし、私は知らなかった。知らなかったことさえ知らなかった。
そしてそれを知ることで、私の中の何かが変わった。
そういうことを、書いていけばいい。
書いてみて、はじめて自分が何を知らなかったのかを知ることが出来るのだから。
「そんなの誰でも知っている」?「もう聞き飽きた」?私の知ったことじゃない。
ここはあくまで小飼弾が知ったことを小飼弾が書く場。そこにたまたまあなたの知らなかったことがあるのかも知れない。あなたに役に立つことがあるのかも知れない。でも、そうなるかどうかは、書いてみるまでわからない。
結局このblogがこれだけ続いているのも、私が何を知らないのか、当の本人が知らないからかも知れない。
Dan the Ignorant in Bliss
そして、すでにある程度そのようになっています。
ある程度「本気」で書いてる人とかは、その辺に気づいてないか、
価値を理解してないんです。
ある程度「本気」の人から見ると、
個人的な雑記なんかどうでもいいと思えるんですが、
というか、
blogエントリの99%超はそういう価値なんか全くない(わたくしは全くそう考えませんが)情報しかないんです。