小学館週刊ポスト編集部橘様より献本御礼。
ちょうどいいところに
とびっきり優秀な人に共通していると肌で感じる事 - ひげぽん OSとか作っちゃうかMona-良い人である。誠実である。人間としてのバランスが良い(大きな欠点がない)。とびっきり優秀な人に共通していると肌で感じる事 - finalventの日記
良い人である。誠実である。人間としてのバランスが変(大きな欠点がある)。
なんてentriesがあるので、これらに絡めながら。
とびきり優秀な人は、
- そいつにしか出来ないことを
- 誰にでもわかるようにやって見せる
人のことである。
どちらが欠けても、「とびきり優秀な人」と見なされない。なぜなら、誰が「とびきり優秀な人」を決めるのは、とびきり優秀な人ではなのだから。
実はこの二つは「分業」可能で、「口べた」な天才の名が残っているのはそれが理由とも言える。死後発見された天才はすべて分業型と見なせるだろう。誰にも出来なかったことをやってのけたことを紹介するのは、本人でなくてもいいのだ。
で、本書に話を戻す。本書「人間関係力」は「とびっきり優秀な人々」が、誰もが突き当たる人生の問題においてどのような答えを出していたかを、とびっきりではないが優秀な著者がまとめたもの。本書では、33の設問に対する33の答えが載っている。
目次 - どこにもないので手入力- 仕事関係に振り回されてばかりだ - 回答者/宮本武蔵
- 仕事で悩んでいる部下になんと声をかければいいか - 回答者/エジソン
- 最近仕事の愚痴が多く、つまらない - 回答者/高橋是清
- 会社でもっと重要なポジションに就きたい - 回答者/チャップリン
- 出来の悪い新入社員とは口も利きたくない - 回答者/夏目漱石
- 出来る年下の部下とどう接すればいいのか - 回答者/劉備玄徳
- 若手の社員を一人前に育てたい - 回答者/黒澤明
- 部下の士気が一向に上がらない - 回答者/アレキサンダー大王
- 心の狭いイヤな上司に当たってしまった - 回答者/三遊亭円朝
- もっとリーダーシップを発揮したい - ジョン・F・ケネディ
- 無責任な上司、無能な部下の板挟みだ - 回答者/孫子
- 部下からいいアイデアが上がってこない - 回答者/松尾芭蕉
- どうすれば部下の信頼が得られるか - 回答者/ナポレオン
- 出会いが少なく、仲間もいない - 回答者/寺山修司
- なぜあの人は不機嫌なんだろう - 回答者/モーツァルト
- 「人の話を聞かない」といわれる - 回答者/宮本常一
- 人生に刺激を与えてくれる友人を得体 - 回答者/杜甫
- キレやすい自分を持て余している - 回答者/新渡戸稲造
- 誰も本当の自分を見てくれていない - 回答者/マーク・トウェイン
- 子どもをどう教育すればいいか - 回答者/勝小吉
- あんな女とは結婚しなければよかった - 回答者/サルバドール・ダリ
- 夫婦間の危機にうろたえている - 回答者/与謝野晶子
- 世間の評判が気になって仕方がない - 回答者/マキャベリ
- 女性にモテるにはどうしたらいいか - 回答者/坂口安吾
- 逆境に経ち、途方に暮れている - 回答者/孔子
- 仕事関係者とプライベートまでつきあいたくない - 回答者/渥美清
- すべてがうまく行かず何もかもイヤになった - 回答者/種田山頭火
- 他人から尊敬されたい - 回答者/モハメド・アリ
- 人から「存在感が薄い」とよく言われる - 回答者/一休宗純
- マンネリ感を脱したい - 回答者/ヒッチコック
- 他人の中で自分を見失ってしまった - 回答者/道元
- 友情と保身、どっちを取るべきか - 回答者/司馬遷
- 人間関係にほとほと疲れ果てた - 回答者/釈迦
見ての通り、回答者の幅が実に広く、偏りらしい偏りが見られない。実に「人間としてのバランスが良い」。それこそが、著者が「とびっきり」優秀でない証に私は感じられる。
こういう「とびっきり」優秀でないが故に「うまく行った」人を見ると、確かに
とびっきり優秀な人に共通していると肌で感じる事 - finalventの日記「とびっきり優秀な人」って、この人、この世にいなくてもいいんじゃないのっていう、なんか不思議な空白感がある。
という感慨に与したくもなってくる。確かにとびっきり優秀だった人の業績の後を追うのに、とびっきり優秀である必要はないからだ。アインシュタインがいなくても相対論は見つかっていただろうし(事実特殊相対論はポアンカレも独自に見つけている)、ニュートンが上司だとしたら私は翌日には辞表を出していただろう。
しかし、である。
「とびっきり優秀な人々」がやってきたことを、まだ誰もやっていない時点で我々は出来たのだろうか?そして今では「ふつうになって」しまった、とびっきり優秀な人々の成果の応用なくして、我々の今の「ふつう」はあり得たのだろうか。
もし彼らが不要だというのであれば、彼らのもたらした果実も謝絶するのが筋ではないだろうか。
それはとびっきり優秀な人々にもそうでない人々にも不幸で不毛なことなのではないか。
それがいやなら。
著者のように敬して用いるのがよさそうである。
Dan the Ordinary Blogger
「誰が一番、長く息を止められるか」というお遊びをして、
カレは気を失った。
同じ夏合宿で
野球をして、打席に立ち、ヒットを打った後、
ぼーっとたってて、みんなに「走れ」と言われて、3塁に走った。
一般人の常識と、かけ離れたことをしでかすそのカレが、
3年で司法試験に合格する環境を親から与えられていたカレは、
テレビも見た事なかったし、
大学に入るまで、野球をしたこともなかった。
そんな常識なんか、持たなくてもいいよ。って言う親が存在してたと思う。
20年以上、カレに会ってませんが、
普通の人になっているかもしれんし、
アノ環境が、あのまま維持されてたら、
すごいことになってるだろうし。
大学や会社の研究所では、
まわりの人が才能を見抜いて、そういう環境を与えるか
与えないかによりますね。
あるCPUメーカの営業技術で
潰されそうになっていた際、シリコンバレーの開発部隊に転属になった別のカレがいってました。
「働きバチは、働き続けるんだろうね。女王蜂は、
ロイヤルゼリーを食べ続けて、タマゴを生み続けるんだろうね」