メディアファクトリー永井様より献本御礼。

ぐぬぬ。

関係者は、本書の対象読者を誤って設定してしまったのではないか。

本書「草食系男子の恋愛学」は、「草食系」男子、すなわち自らは恋愛に積極的になれないにも関わらず、恋愛を渇望している男子が、いかに異性と恋愛するかについて、自らも草食系である著者が自らの失敗経験を元に綴った一冊--であるはずだった。

目次 - Amazonより
はじめに 私はなぜこの本を書くのか
第1章 女性に集中し、話をよく聴くこと~いまこの時の大切さを知る~
1「私だけに集中してくれる」が女性の求めるもの
2 心を通わせるための「話の聴き方」
3「あなたを尊重しています」を伝えること
第2章 女性の「身」になって考えること~心とセックスと社会的位置を知る~
1 女性の性について考える
2 女性の心理について考える
3 社会の中の女性を考える
第3章 成長したいと願い、夢を持つこと~魅力はどこから生まれるのか~
1 己の劣等感との付き合い方
2 「いい人」から「恋人」に変わるとき
3 恋愛が私たちの人生にくれる最大の贈り物とは
エピローグ 暗い青春には意味がある
「草食系男子」のための読書案内

のであるが、いざひも解いてみると、むしろ本書は彼女を不用意に傷つけがちな「肉食系男子」が、いかにしてそれを避けるかのマニュアルになっていることに気がつく。そういう観点であれば、本書は合格--だと思う。「だと思う」としか言えないのは、私が男性である以上、採点資格がないから。

もし恋愛ゲームが、100点に達したところでゴールであるのなら、1点から100点まで持っていくのには本書はもってこいだと思う。要するに「愛を育む」という過程だ。

しかし、草食系男子が本当に知りたいのは、0点を1点にする、すなわち「育むべき愛の種を獲得する」ところにあるのではないか。

本書にないのは、それなのである。

それを持ち合わせていないという点において、著者自身が悲しいほど草食系男子なのだ。

本書を貫くのは、徹頭徹尾「彼女を傷つけないにはどうしたらよいか」ということである。

しかし「ない」で語っているうちは、0は1とはなりえないのではないか。

本書に乗っ取って行動している草食系男子が仮にいたとすると、私には過冷却された水に見えるだろう。氷となるのに充分に冷えていても、未だ水のままの。

過冷却した水は、しかしわずかな衝撃で凍る。

その「かつん」が、本書からは読み取れないのだ。

『草食系男子の恋愛学』という本を出します。 - 感じない男ブログ
「好きな女性に振り向いてもらうには、どうしたらいいのか」
「好きな女性に声をかけるときには、どうしたらいいのか」
「好きな女性とデートをするときには、何に気をつけたらいいのか」
ということである。
 なぜなら、これこそが、男たちが最初につまづく箇所だからである。

まことに申し訳ないことに、この「つまづかない」という姿勢が、本書を過冷却の水としている。

恋愛とは、つまづかぬことではなく、正しい向きにつまづくことではないだろうか。

かくいう私も、どうしたら「かつん」を得られるのかということを知っているとはとても言えない。草食系男子から呪い殺されそうになるかも知れないが、今の妻も含めて、「かつん」を用意してくれたのは、いずれの場合も私がつきあってきた女性たちだったから。つきあった女(ひと)の数こそ少なくない(三桁)が、いずれも「男としてつきあった」というより「男の子として飼われた」というのが本当のところに思える。のら猫に餌付けしていたらなついた、という感じだ。

思い起こせば、私は女性に囲まれて育って来た。登校拒否児だったこともあって、他が登校している時に家にいることも多く、そこには母の友人たち--当然女性、おばちゃんたち--がそこにいた。家出を繰り返すようになると、行き先で優しくしてくれるのはたいていの場合女性。そして入学先の大学は、六割が女性の上、ある程度キャリアを積んでから入学している女性も少なくなかった。

優しくしてくれるお姐さんたちに事欠くことがなかったわけだ。また、幼いころから「お姐さんたちは優しくしてくれる」ということが刷り込まれているので、彼女たちに近づくにあたって物怖じすることもなかった。

私自身、異性に対してはすこぶる「草食的」に育てられたように思う。母を含めた「おばちゃん」たちに、女性に対する暴力がロボットにとっての三原則第一条であるかのごとく叩き込まれてきたし、不倫も暴力もしほうだいだった父親は、模範的な反面教師としてさらにそこに加わる。おかげで今に至るまで、私は女性に暴力を振るったことはない。少なくとも殴る蹴るなどの暴力は。

それでも、異性に限らず他人とつきあう過程においては、傷をつけずにはいられないというのもまた事実である。ましてやセックスというのは、医者的に言うと侵襲的な行為である。文字通り自分の肉体の一部を、他者の肉体にめり込ませるのだから。お医者さんごっことはよくいったものである。「おちゅーしゃ」という表現を、二人で使ったことのないカップルはいないのではないか。

どれほど彼女のことを大切に思っても、彼女を傷つけるのは避けられないのだ。

さらに相手によっては、積極的に傷をもとめる場合すらある。昔「これで私を縛って」とひもを渡された時、私はずいぶんと当惑した。「なんという女だろう。なぜこれほどあなたのことを大切にしてきたはずなのに、自ら暴力を求めるとは」、と。

今なら、少しわかる。

その「傷」こそ、愛の証なのだ、と。

とりかえしがつかないからこそ、かけがえのない経験になるのだ、と。

404 Blog Not Found:記憶とは、傷である。
しかし、記憶とは傷なのだ。嬉しい記憶も怒りの記憶も哀しい記憶も楽しい記憶も、すべて傷のなかにある。結局のところ、傷つきたくなかったら何も見ず、何も聞かず、何も嗅がず、何も味わわず、何も触らないしかない。

本書からは、いかに彼女を傷つけないかというメッセージが、草食系男子の手による書らしく、じわじわと、しかししっかりと伝わって来る。彼女と末永く幸せになりたい時に、この本はきっと役に立つ。

しかし、彼女にどうやって「かけがえのない傷」をおわせられるのか、それを読み取ることが出来なかった。おそらく著者が女性のか弱さは知っていても、強さと強かさをあまり知らないからなのではないのか。私も十分知っているとは言えないけど、私よりも強くて強かであることは知っている。

それを知っているだけで、どっち向きにつまづけばいいか、かなりわかりやすくなるような気がする。

Dan the Man