ほんの雑誌編集部浦様より献本御礼。

す・ご・い!

こんなすごい本読みが日本に存在したなんて。

こんなすごい書評家が日本に存在したなんて。

こんなすごい書評が、「連載中は反応がほとんど皆無」だったなんて。

本書「ミステリ交差点」は、私が今まで読んだ中では最高の書評本。

最高その一。その量。目次はとても載せられない。blogの1 entryにおさまる分量ではない。

本の雑誌社の最新刊
全68回の連載で紹介作家121人以上、紹介冊数140冊以上、言及作家530人以上、言及作品2000冊以上! 読みに読んだりという驚愕の情報量です。

その代わり、以下へのリンクを貼っておく。

最高その二。その質。本書は、530人以上の作家と2000冊以上の作品とただ羅列してあるわけではない。これらは有機的に関連し、本のネットワークとなっているのだ。この「コネ」部分こそ、本書がただの「雑誌連載の単行本化」でないことの証である。

その決定的な証拠としては、索引の存在を挙げるだけでも十分だろう。「雑誌連載のまとめ」本に、目次があることはあっても索引まで存在することはまれである。しかも本書においては、索引別まとめと作家別まとめの双方が用意され、それだけで20ページもある。著者もすごいが編集もすごい。

最高その三。その「縛」り。これだけの質量であるにも関わらず、本書では「ミステリと名がつけば、片っ端から紹介」した本ではない。

あとがき
共通点のある新刊を二冊、関連づけた書評コーナーを

最近では私もずいぶんと多くの「関連書評」をさまざまな雑誌から求められるようになった。だから痛いほどわかる。これがどれほどきつい縛りであるのかを。しかし著者はそれを一度限りではなく、100回以上、品質を全く落とすことなくやってきたのである。

最高その四、その愛。本書の紹介文には、およそ悪いことは書いていない。著者は紹介本を褒めて褒めて褒めまくる。なのにちっともしつこくない。ましてやほめ殺しにもなっていない。著者は紹介本の著者たちが最も読んでほしかったところを的確に読み取り、それを引用ではなく自らの言葉で綴っている。作家たちの「ああ、ちゃんと読んでくれたんだ!」という表情が目に浮かぶようだ。

最高その五。その控えめぶり。本書は、徹頭徹尾書評である。著者は本の紹介はしても、自説の披露はしない。ここのblog主とは大違いだ。実はほとんどの「書評」はその名を借りた自説の披露であり、この点は『松岡正剛の千夜千冊』も同様である。読者が読みたいのは、まずは松岡正剛であり、その意味においては本は欠かすことが出来ない重要な脇役で、いくら重要でも脇役なのだ。

しかし、本書の主人公たちは、あくまで紹介された本たちであり、脇役は言及された本たちであり、著者はあくまで裏役に徹していて、「はじめに」と「あとがき」にしか顔を出さない。

これほど完璧な書評家を、私は見たことがない。脱帽である。

と同時に、「書評の器」としての雑誌の凋落ぶりを、晩秋の秋風とともに感ぜずにはいられない。

あとがき
ただ、連載中は反応がほとんど皆無で、果たして読んでいる人がいるのか不安だった。

弾言ではなく、本を売っている者の一人として弾言する。

これがWebだったら、そんなことはありませんでしたよ、と。

もし本書の「連載」がblogなりで展開されていたら、著者はアルファブロガー間違いなしだったはずだ。そして自分の実績から逆算して、その収益は連載中の原稿料を遥かに超えるものとなっていたはずだ。

今からでも遅くはない。著者は「ミステリ交差点」をWebで再開すべきだ。

本の雑誌社の最新刊
紹介するだけでなく、ちゃんと読みたくなるのがエライ所。単行本化に際して、担当者と校正者を悩ませた事のひとつは読んでると本が読みたくなることでした。

これに偽りはない。本書で一番残念なのは、Amazonへのリンクがないことといっていいぐらいだ。

新刊時評という性質上、どうしてもタイミングが合わずに取り上げられない作家が何人もいた。 泡坂妻夫、連城三紀彦、北方建造、大沢在昌、宮部みゆき、若竹七海....数え上げたらキリがないが、返す返す残念である。

今からでも遅くはない。Webでこの連載を続けてほしい。それで食えるというのは折り紙をつける。私程度で「食える」のだから。

Dan the Man with More Books to Read