著者より出版社経由にて献本御礼。

愛の形がいかに変わらぬかということに、私はむしろ驚くべきだろうか。

私が思い起こしていたのは、20年前の自分だった。

本書「ドット・コム・ラヴァーズ」は、主題だけ見ると「アメリカにおける出会い系体験記」であり、その看板に偽りはない。著者はmatch.comを通してNYCとHonoluluでさまざまな男性と出会い、デートし、時にはベッドをともにする。

しかし、本書で語られているのは、「出会い系ってどうよ?」でも「ネットはいかにデートを変えたか」でもない。本書に活写されているのは、アメリカにおいて文系高学歴であるとはどういうことかであり、そして彼らが--少なくとも著者が--どのように恋愛しているのかということである。

以下は、match.comに掲載した著者のプロフィールである。本書を紹介するにあたっては、目次よりこちらの方が適切だろう。

 私は、人文科系の大学教授です。ニューヨークに生まれて東京で育ち、東海岸の大学院に行き、一九九七年以来はハワイに住んでいますが、一年間ニューヨークで過ごすためにやってきたばかりです。ハワイの自然やユニークな文化、そしてもちろん気候も素晴らしいけれど、都会人間の私にはニューヨークの刺激と多様性は最高です。
 二つの言語と文化をまたいで生きているということは、私のアイデンティティの重要な一部で、デートの相手としては、他の文化に積極的な興味をもっている男性を好みます。文学、音楽、芸術を楽しむことも重要です(私はかつて、つきあっていた相手がトニ・モリスンが誰かを知らなかったという理由で別れたことがあります。だから、この一文を読んで、Who's he? (その男いったい何者?)と言っているような人は、メールしないでください)。私はまた、かつてかなり真剣にピアノを勉強していたことがあり、今はクラシック音楽についての本を執筆中です。自分が弾くのはクラシックですが、聞くのはジャズ、ブルース、フォークで、ブルーグラスなども好きです。
 デートの相手には、トニ・モリソンを知っていることに加えて、政治的志向が左であることを強く希望します。私は四六時中政治について話しているようなタイプではないですが、デートの最中に、基本的な価値観や世界観についての議論をしたくはないからです。
 いかにも頭が固くてお高くとまったヤツに聞こえるかもしれないけれど、そんなことはないですよ!楽しいことが好きで、気取らなくて、だいたいは情緒の安定した人間です。私は、途中に山も谷もあるけれど、人生は面白おかしいものだと思っていて、日常の小さなことに笑いを見いだす人が好きです。私は社交的で積極的ではあるけれど、部屋いっぱいの見知らぬ人たちと次々に表面的な会話しなければいけない大きなパーティーは苦手です。私が魅力を感じる相手は、知的好奇心が旺盛で、文化的にオープンな心をもっていて、感情表現が豊かで、他の人間の人生や考えや気持ちに積極的に興味を持っている男性です。セクシーな声の人はなおさらプラスです。

これを手がかりに、著者は実にさまざまな男性たちとデートする。そこにおいて、ネットは単なる連絡手段に過ぎず、それはラブレターや電話の代替物でしかない。そこから先の男女の世界は、今も昔も変わらない。

本書で最も感嘆するのは、著者の自尊心の高さ。著者は、つきあってきた男を一切誹謗せず、恨み言は一言も発しない。「女々しさ」が少しもないのだ。涙は実は登場するが、それは女々しいというにはあまりにも自然かつ普通で、男であっても流してもおかしくない涙であり、その意味で本書は女性の手によるものであるにも関わらず、男女を入れ替えても成立するほどの普遍性を持つ。そう、「文系高学歴」の典型としての。

悲しいかな、それこそが、彼らが最高のdateでありつつも、最高のmateにはなれない理由なのだ。

That's what makes them so easy. Easy not because they are easy to get laid. Easy because they are easy to break up -- without breaking their hearts.

自尊心の高い彼らは、別れにおいてもおよそ泣きつくということがない。実際は泣いていても、それを乗り越えられるだけの強さと、それを見せぬだけの誇りが彼らにはある。

裏を返すと、後腐れなく別れられるということである。

我が身を思い起こしても、私が好んでつきあっていたのがこのタイプだった。ユダヤ系が多かったなんてところまでそっくりだ。さすがにtenureを取った教授とまでは行かないが、かの国の University (college でないところがミソ)には、こういう「お姐様」がかなりいて、コツさえつかめば彼女たちの間を「檀家まわり」するようになるのはそれほど難しいことではなかった。

当時は、まさかその3年後に籍を入れることになるとは、それも日本人と籍を入れることになるとは思いもよらなかった。人生わからぬものである。

P. 251
私ぐらいの年齢になると、意識的あるいは無意識のうちに、やりなおしの利かない人生の選択をいくつもするようになる。勇気を出してする選択によって、かけがえのないものを手に入れることもあるし、大事なものを失って二度と取り戻せないこともある。これまでもっていたものを失うのも辛いが、これから先にもつことができたであろうものを永久に失ってしまうことの痛みも同じぐらい大きい。それでも、そうした選択の結果を、他人のせいにすることなく、自分自身で引き受けることが、大人になるということなのだろう。

「これぞ、大人の品格」という一文で、著者は本書を締めくくっている。

しかし、この品格こそが、「dateからmate」への超えられない壁ともなっているのではないだろうか。mateとは、自分の品格をかなぐり捨てることが出来る相手のことである。よって伴侶(mate)を得るという行為には、実はかなりの下品さが伴う。どれくらい下品かというと、dateという人生の選択を失ってしまうほどの下品さである。

そして、この「品格と伴侶のトレードオフ」が見られるのは、男女関係ばかりではない。

負け犬の遠吠え」がなぜ売れたか。

下品だったからだ。

私はかなり下品なたぐいではあるが、その私ですら「犬に失礼にもほどがある」と吐き捨てねばならぬほど、イヤ汁のにおいでむせ返るような一冊だった。

だから、売れたのだ。

著者のような「いい女」は、まさに「いい女」であることによって伴侶を得られない。著者はそれを受け止められるだけの「強い女」ではあるけれど、その強さゆえに「後腐れのない女」として扱われてしまう。そしてこのことは、s/女/男/gとしても成り立ってしまうのだ。

なんと酷なジレンマか。

404 Blog Not Found:結婚って何だろう - 書評 - 「婚活」時代
「結婚したら負けだと思っている」、そんなあなたに申し上げる。
負けるが、勝ちだと。

人は学ぶことによって強く、そして美しくなれる。

しかし、弱さを受け止めるべき相手というのは、学びから得ることが出来るのだろうか。

私はその点では抜群に運がよかった。だから、今の私にはこれしか言えない。

Good luck.

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