私もこのことには120%同意するので....

ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書25冊を紹介 - 分裂勘違い君劇場
しかし、分裂勘違い君劇場より1000倍優れている梅田望夫氏や小飼弾氏の本やブログといえども、図書館や書店に並ぶ良書の前には、やはり、ゴミより幾分マシだという程度の価値しかないのです。

どんなすごい本を紹介してくれるのかと期待したのだけど....

期待どおり、期待はずれ。

テキストブックばっかじゃん。

「テキストブック」と「テキスト」の違いは、「日本語が亡びるとき」を一読いただくとして、別のいい方をすれば「ノンフィクション」と「フィクション」となるだろうか。「読み物」と「物語」の違いと言ってもいい。

この両者の違いは何か、といえば、行間を読む必要があるかないか。テキストブックでは、行間を読むのは罪悪でもある。なまじ行間を読んだら、教師に減点される。

しかし、テキストにおいては、行間にこそ読書がある。そこに書かれていないものをどれだけ読み取れるか--裏をかえせば、どれだけ豊かに誤読できるか--で読書の質が決まってくる。

それ故、テキストは読みづらい。それ以上に読ませづらい。本blogで紹介している本の過半が「テキストブック」になってしまっている理由の一つだ。本当はもっとテキストも紹介したいのだが、私の能力不足もあってなかなかそうは行かない。

しかし、そうしたテキストこそが、テキストブックの書き手を書くことに駆り立てたのだ。

聖書なくしてニーチェはありえたか?

本を食に見立てると、テキストブックというのは加工食品ともいえる。栄養価が高くて味が良いだけではだめで、いかに手をかけず口をつけられるかというのも重要な価値になる。

生きていくためなら、そういった食事だけで済むし、一生かけても食いきれないほど充実している。

しかし、私はそれを豊かな食事とは呼ばない。

食材から自ら作った料理だって食卓に並べたいのだ。

id:fromdusktilldawn 紹介の二十五冊の栄養価の高さは私も保証しよう。八割は私も読んだし、残り二割も多分大丈夫だろう。その二十五冊に欠けているのは、歯ごたえ。歯ごたえに限って言えば、これらの二十五冊は「ハリー・ポッター」にも劣る。

ところが、テキストは、まさにテキストであるが故に読み手を選ぶ。古典がいい人もいればSFがいい人もいる。こればかりは実際に「食ってみない」とわからない。そして食えば食うほど、自分の趣味趣向、すなわち自分というコンテキストが読書にも現れる。そして、読み手どおしの世界はますます離れていく。

それでも、読書を進めていけば、あるテキストブックがどのテキストに依って書かれたかというのはある程度わかるようになる。それがわかったら、そのテキストを読むというのも読書の愉しみの一つだ。

で、近代西洋哲学の場合、聖書というテキストはどうしても外せない。神を殺すには、まず神をこさえねばならない。少なくとも近代の哲学者は、聖書のおかげで神を作る手間を省くことができた。

ブッディストに言わせれば、なんという時間の無駄ということになるだろうか。ありもしないものをわざわざこさえてぶっこわして、それで何かわかった気がするなんて。

それでも、哲学ではなく哲学者がわかりたかったら、双方とも読むしかないのである。

404 Blog Not Found:A man I love to hate - 吉本隆明の声と言葉。
しかし、吉本隆明には、これがある。
言葉の一番の幹は、沈黙です。言葉となって出たものは幹についている葉のようなもので、いいも悪いもその人とは関係ありません。

私はこの人の「テキストブック」、すなわち「読み方」を嫌いつつも、テキストブックの限界を知り、それをテキストブックしか読めない人にもこのような簡潔な言葉で示せることこの人の読解力を畏敬せずにはいられない。

テキストブックだけ読んでも、テキストはわからない。

これは、断言しておいてもよさそうだ。

Dan the Man with More Text to Read