なめられたものだ。

素朴な疑問 - タケルンバ卿日記
でも、「いいものがあるよ」ってことを言うのに、何かをおとしめる必要あんのかね。わからない。
これだけの人気になる記事を書けて、名も筆力もあるのにね。もったいないなあと感じるのはオレだけかしらん。

この程度で「おとしめられた」とは。

それを言うなら

で挙げられている著者たちは、私なんかよりはるかに「おとしめられて」きた人々でもある。

それで彼らが「おちた」かといえば、そんなことはない。むしろそれにより名声はますます確固たるものとなっている。

梅田望夫や私は、その域に達している -- と見なされているわけだ。

ずいぶん気恥ずかしいが、そう見なしているのは私じゃない。読者たちだ。

「おとしめても」「おちない」人々というのは、それほどたくさんいるわけじゃない。「アルファブロガー」と呼ばれる人々だって、「おちこむ」人は少なくない。有名どころだとこの人とか。この人の場合、「おちこむ」ことも芸風の一つになっているけど、あいにく私はそんな器用じゃない。

私だって、ありとあらゆる「おとしめ」に対して「おちない」というほど強くはない。しかし、少なくとも上のコンテキストでは「おちない」。

こういうのも何だけど、その意味において「おちない」人々というのは、ブログという梃子の支点として機能している。支点が壊れてしまっては、梃子も壊れてしまう。梃子を使う人は、まず支点の頑丈さを確認する必要がある。

で、上の記事で私が「おとしめられた」と感じたかといえば、ちっともそんなことはない。id:fromdusktildawnは梃子の力学を知っている。誰を支点として使うべきかというのを心得ている。

というわけで、みなさんも遠慮なくご利用ください。ただし無保証です。梃子がこわれてけがをしても、私は何も保証しないからよろしく。

Dan the Pivot Blogger